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偉大すぎるお虫さま――カイコ(むしたちの日曜日62)  2016-11-15

●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治  

 
 たまたま出かけた昆虫館で、これまた、たまたまもらったカイコの繭が2つ。
 「繭を見ただけで雌雄を見分けるのは難しいよー」
 そう言われていたのだが、見事に大当たり! しばらくしてちゃーんとオス・メスが1匹ずつ、羽化したのだ。
 
 どちらかといえば、くじ運は悪い方である。旅先での天気にも見放されることが多い。それなのに今回はペアが成立するドンピシャの組み合わせだったのだから、うれしいのなんのって。わが人生に、そうそうあることではない。
 
 ――とまあ、こんな出来事のあったのが10月の終わりのこと。霜月入り目前のこととて、喜びはすぐ、悩みに変わった。
 ペアであればおそらく、交尾して産卵するだろう。それもめでたいことに違いないが、問題はえさの確保である。
 家のまわりに野生の桑の木はある。とはいえ、そろそろ葉を落とす。 そうなったら、えさはどうしよう……。
 
 少し前には、繭の中にちゃんとおさまっていたオオミズアオが予定にない羽化をし、相手の見つからないまま産卵した。まだまだ先のことだと思っていたアカボシゴマダラもやっぱり、さなぎから抜け出してしまった。地球温暖化の余波なのか、予想外のことが次々と起きている。カイコにだって、超速ふ化があってもおかしくない。
 そう思うと、気が気でない。
 
 「あのう、ぼくはどうすればいいのでしょうか」
 カイコの専門家である友人にメールでたずねると、すぐさま返信があった。「色がグレーになっていたら、春まで眠る卵でしょう。心配しなくて大丈夫ですよ」
 交尾していたかどうかを尋ねられたが、それはもちろん確認済みだ。有精卵である。それよりも注意しないといけないのは、桑が芽吹く前にふ化することだという。そこで、「年が明けたら卵を冷蔵庫に入れて、桑の葉がちゃんと伸びるまで保管したまえ」とのアドバイスも受けた。それまでは何もせずに、放っておくのがいいそうだ。
 放置ワザなら自信がある。もっとも得意とすることであるからご安心あれ、とメールを返した。
 
 カイコは、過去にも飼ったことがある。
 それもまったくの偶然から手にした繭で、自分の意思で求めたものではなかった。それがすぐさまふ化し、すぐに幾組かのカップル誕生となり、卵をびちびちびちと産んでくれた。純白だった繭はあれよあれよという間に丸い粒つぶに覆われ乗っ取られ、卵のすきまから繭のかけらが見えるといった逆転現象を起こした。
 まったく同じことが、目の前で起きている。驚きを通り越して、もはや悪夢の再来だ。あのときはまっ黒な「毛子」がわんさかぞろぞろはい出してきて、これからいったいどうなるのだろう、どうしたらいいのだろうかとオロオロさせられたものである。
 イモムシが完全変態をする虫のたどるまっとうな道すじだというくらいは知っているが、いかんせん、イモムシが苦手だ。できれば身近には置きたくないのが、蝶や蛾の幼虫なのである。
 
 
 
 それでプチ生物研究家といえるの?
 しごくもっともな質問を何度か頂戴した。しかし、こればかりは仕方がない。飼育経験をかさねても、基本的には好きになれない。
 ここでいつも、世の中の不条理を思うのだ。常識も社会的地位もある人たちの多くがどうして、あのカイコをば「イモムシ」と受けとめないのか。
 「カイコ」と称するものの、実際にはカイコガの幼虫、すなわち蛾の子どもである。どう言おうが言い繕おうが、ぜーったいにイモムシでございましょう!
 ――などと突然、ていねいな言葉づかいで叫びたくなってしまうのだ。世間一般には「イモムシ・ケムシつまんで捨てろ」と罵倒されるあのイモムシなのに、なぜどうして、気がつかないのだろう。
 カイコがこの国に初めて登場する場面は、この上なく衝撃的だ。『古事記』ではスサノオノミコトに誤って殺されたオオゲツヒメの亡きがらの頭から生まれたとされ、『日本書紀』ではツクヨミノミコトに殺されたウケモチノカミの眉が変身したものだとある。どちらも似たような話だが、カイコ以外にもさまざまな穀物がこうして誕生したことになっている。
 つまり、カイコは神さまがじかに授けてくださった尊い虫なのだ。
 ならば、それは認めよう。となると、「イモムシなんぞ」とさげすむような見方、言い方をしてはいけないのであるが、それでも好きになれるものとそうでないものは厳然と存在する。
 
 そのせいなのか、ぼくはカイコのことをほとんど知らない。卵からかえったら桑の葉を与えるといった知識の持ち合わせしかないが、それでも育つものは育つ。繭にもなる。そしてまた卵を産んで、うじゃうじゃとふえていく。
 なんということのない命の循環。だがそれは、実に喜ばしい繁栄だ。そうやって世の中の人々に多くの利益をもたらし、長いこと大切にされてきたのが何あろう、カイコなのである。
 いわく、「おカイコさま」。「おこさま」と呼ぶこともある。「おカイコさん」「おカイコさま」とも言う。いずれにしても、「お」と「さま」を付けて呼んでもらえるイモムシがほかにいようか。
 
 ほかのイモムシはともかく、カイコとなると、生態よりも文化的なことが興味の対象となる。
 富岡製糸場といえばいまや世界に誇る日本の歴史的財産のひとつであるが、それを擁する養蚕県・群馬で、方言の研究者からカイコについての面白い話を聞かせてもらった。カイコの飼育には大量の桑の葉が必要とされるが、そこから「オーグワ」という表現が生まれたというのだ。
 
 その言葉は養蚕業の衰退した現代にも受け継がれ、「食べ盛り」という意味で使われるという。
 あるいは「厚飼い」「薄飼い」という表現もいまに残り、それぞれ人数の多少を意味する言葉として使われている。
 カイコが脱皮と休眠を繰り返して大きくなる虫であることは、よく知られる。それにまつわる言葉も、群馬県には残っている。
 シジ、タケ、フナ、ニワ。
 これらがその言葉なのだが、そういわれてもおそらく、ちんぷんかんぷんであろう。
 もとをたどれば、インドに伝わる古い話にたどり着くのだと教わった。
 
 ある美しいお姫さまが、継母にしつこくしつこく、いじめられる悲しい話だ。うとんじられた姫は最初、獅子(ライオン)の谷に捨てられ、そこから無事に帰ると次にはタカの山、それでも帰ると舟で海に流された。そしてとうとう、死んで浜に流れ着き、それがカイコになったというストーリーだ。そのうち、「シシ」が「シジ」に変わり、「タカ」が「タケ」、舟が「フナ」、「浜辺」が「ニワ」に変化したというのである。
 
 なるほどなるほど、奥が深い。これをわが『古事記』『日本書紀』のエピソードと比べたとき、どちらが悲惨なのだろう。亡くなった神や姫には申し訳ないが、もう少しハッピーなおはなしだったらいいのになあ、と虫を愛するプチ生物研究家は思うのだ。
 
 さらにちょっと調べたら、茨城県つくば市の蚕影山神社にも同じような伝説があることを知った。それが「金色姫伝説」であり、細部は異なるものの、後妻となった王の后(きさき)から幾たびもいやがらせを受けることは変わらない。
 
 面白いのは、桑でつくった船に乗せられた姫の漂着先が常陸国の豊浦湊となっていることだ。姫は親切な漁師に助けられたが、いつしか病にたおれる。その棺の中で見つかったのがカイコであり、桑の船にちなんで桑の葉を与えるとシシ、タカ、フネ、ニワという4度の休眠を経たのち繭になったという言い伝えである。
 
 カイコをじかに見る機会は減った。それでも飼育体験をさせようという努力は続けられているし、初めて目にする子どもたちも「げげげ、イモムシだ。気持ち悪いよなあ」などとは騒がない。彼らにとっても、カイコはイモムシではないのだ。
 ふーん、なるほど。いつまでもイモムシだというのはオトナゲないなあ。ぼくもそろそろ、認識を改めなければ……。
 でもやっぱり、どう考えてもカイコはイモムシなんだよねえ。
 
写真 上から順番に
・羽化するとほどなくして交尾をするのが、カイコガの習性だ
・まだまだ先だろうと思っていたのに、突然のように羽化したアカボシゴマダラ
・繭があれば、その上に卵を産んでしまう。この程度ならまあ、美観をそこねない産卵だ
・左:拡大すると、ゴマ粒というよりスイカの種だよね
・右:これがイモムシでなく「カイコ」だなんて、おかしくない?
・羽化したてのカイコガ。白い繭の上に乗ると白いはねがさらに引き立つ
・11月の終わりに野外で見つけたクワコ。カイコのご先祖とされている蛾だ
・クワコ(右)に比べると、カイコガは巨大だ。改良の成果がはっきりわかる
・展示されていたカイコを手に取ろうとする少年。現代っ子に、カイコがイモムシだという認識は薄いようだ


 
 
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