|
近くて遠い隣人――コウモリ(むしたちの日曜日63) | 2017-01-19 |
| ●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治 | 子どものころはよく、コウモリを見かけた。ほうきや下駄を空に投げつけると、ごくまれに落っこちてきたものである。悪ガキどもはもちろん、自分たちが狩った獲物だと思っている。 地上に降りたコウモリというのはじつに不器用で、あわれな存在だ。ひじなのか腕なのかわからない細い部分を動かし、必死にその場から逃げようとした。そうやって子どもたちに、自分が鳥とはちがう生き物であることを教えてくれようとしていたのかもしれない。   コウモリ――。 考えてみればなんとも不思議な名前ではある。語源については諸説あり、蚊屠(ほふ)り、蚊を欲(ほ)り、川守(かわもり)とする見方がある。習性からするといずれも捨てがたいが、まずはカハホリ→カハボリ→コウモリと変化してきたとする説を推すとしよう。「カハ」は皮であり、「ホリ」は張り・振りを意味する言葉で、コウモリ独特の薄い皮膜を表現したものではないかとされている。   コウモリにはなんとなく、うさんくさいイメージがつきまとう。イソップ寓話では、鳥になったり獣になったりするご都合主義の卑怯者として扱われ、吸血鬼ドラキュラにも通じるダークな印象がぬぐえない。 それではコウモリは何者かと問うなら、現代人の多くは哺乳類の一種だと答えてくれよう。   そう、彼らはわれわれ人間と同類なのである。だから子ども心にも、翼はあっても鳥とは異なる生き物であることを感じ取ったのではないか。実際にコウモリの骨を見る機会はまれだが、博物館などで展示されているものを見れば人間に通じるものが読み取れよう。 多くの動植物が身近な環境から消えているが、コウモリはまだ、たまに目にする。俗に「イエコウモリ」とも呼ばれるアブラコウモリなら、大都会・東京でも見ることができる。だから、コウモリに興味を持ったら夕暮れの空を見上げてみるといい。分類の仕方にもよるが、日本には40種近いコウモリがいることになっている。   「へえ、コウモリってそんなにたくさんいるのか」 「そういえば、上野の不忍池で見たよ」 ぼくの身近ではこんな会話も交わされるが、日本のコウモリの多くは絶滅が心配されている。同じ哺乳類仲間として、これはゆゆしき問題である。 そう思って過ごしてきたが、いざ観察しようとすると、なかなか手ごわい。 「あ、いた!」 「見えたぞ!」 と言うことはできても、あっという間によそに飛んでいってしまうのだ。 長野県の乗鞍高原にあるクビワコウモリ保護のためのバットハウスやヒナコウモリが利用する青森県の神社や小屋を訪ねたことはあるが、そうした場所がどこにでもあるものでもない。  
|
|
|
| そんな中、あまりの意外性と愛らしさに感動したのは、北海道でコテングコウモリという手の中におさまるくらい小さなコウモリを見たときだ。長いこと調査をしている地元の動物カメラマンが案内役を買ってくれた。   道路わきの草むらで、オオイタドリの巨大な枯れ葉の中にくるまって気持ちよさそうに眠っていた。それは特殊なことではなく、公園のような人が多く集まるような場所でも見つかるといい、しかも全国的に、かなり広い範囲で確認されていると教わった。しかし、それ以降の自力探索では、一度も見つけていない。大きな葉がくるりと丸まっていると近づいて開いてみるのだが、不発の連続だ。     それに比べるとオオコウモリは、いくらか観察しやすい種類だと思っている。 生まれて初めて野生のオオコウモリを見たのは、十数年前に出かけたオーストラリアでのことだった。夕食のために出かけた町の街路樹で、期せずして出会ったのだ。手持ちのカメラで証拠写真的なものを撮ることもでき、大いに喜んだものである。   帰ってから知ったのだが、かの国のオオコウモリは地球温暖化の影響とみられる熱波で大量に死んだことがある。洞窟にすむわけでなく、街なかで見られるくらい無防備なコウモリだから、暑さは身にこたえよう。人間なら冷房のきいた涼しい場所に逃げ込むことができても、彼らはそうもいかない。なかには水面ダイブを試みるものもいるが、この先さらに熱波が厳しくなると被害も拡大するだろうと報道されていた。   日本のオオコウモリは、大丈夫だろうか。日本だって、おそろしく暑い日がたびたびある。 そう思ってちょっと調べてみたら、台風の大型化やコースの変化によって、沖縄のクビワオオコウモリが増えたという調査記録があった。コウモリ自体は絶滅が心配されているくらいだから喜ばしいことのようにも思えるが、現実にはその逆だ。予期せぬ増殖で農業被害を拡大させる可能性も否定できないという。クビワオオコウモリは、沖縄の県花・デイゴなどの花粉媒介にもかかわっている。   こんな事情はあるものの、もう何年も前から、沖縄本島や石垣島に出かけるたびにオオコウモリを探すのがならわしとなっている。 本島ではオリイオオコウモリ、石垣島ではヤエヤマオオコウモリ が観察できるが、それらはクビワオオコウモリの亜種だという。といっても素人がそこまで区別する必要もないから、ぼくはオオコウモリという呼び名で通している。    
|
|
|
| 探すときのサインとなるのがペリットだ。フクロウやモズなどが吐き出す未消化物である。オオコウモリの場合にはモモタマナやアコウの実を食べるので、そうした樹木の下をまず探す。 食事に来たことのある木なら、痕跡であるペリットも苦労することなく見つかる。食事場面を見たければ、ペリットを目印にして来訪を待てばいい。   もう何度も沖縄に出かけているので、だいたいの場所はわかっている。ペリットも確かめた。場合によってはあたりの住民への聞き込みもする。事前の準備はもはや、完ぺきである。 注意しているとキイキイ鳴く声が聞こえたり、木の間から空を飛ぶ姿が見られたりする。 ところが、見つからない時には見つからない。 それはそうだろう。いくつもの食事場所があるはずだから、日により、気分によって違っても不思議はない。それでも、「せっかくやってきたのだから、今夜はここに来てくれよ」と懇願するのだが、人間の言葉はむろん、通じない。   そんなときにはどうするか。仕方がないから記念にペリットをいただいていく。いつか、それをニスや接着剤で固めて、キーホルダーでも作ろうという魂胆である。 新鮮なものなら、土に埋めて発芽させることもできそうだ。木の実を食べる鳥と同じように、「フルーツコウモリ」とも称されるオオコウモリの体内を経た実は発芽しやすくなるという。   蛾の一種であるコウモリガは、夕方の空を飛んで、飛びながら産卵する習性が知られている。その場面もいずれ見たいと考えているのだが、専門的に追っかけているわけでもないので、いつのことになるのかわかったものではない。おそらくは、コウモリの糞を見つけることに比べたら、おそろしく低い確率であろう。コウモリの糞なら、「バット・グァノ」として肥料扱いされてもいる。 できるなら身近でもっとアブラコウモリの観察でもすべきだろうが、老眼のきた目では大きい方が見つけやすい。 それが本当の理由であるわけでもないのだが、そんな言い訳をしながら、折を見て沖縄を訪ねたいのである。   このごろは、こうもり傘の修繕をすることもなくなった。透明なビニール傘しか見ない世代には、「カハホリ」起源の話をしてもピンとこないだろうな。 コウモリやーい! もっともっと、都会の空を舞いたまえ。   写真 上から順番に ・動物施設で飼育されていたインドオオコウモリ。「カハホリ」の説明にうってつけの翼だ ・おっと失礼! コウモリさんのおしっこだい ・洞窟にぶら下がるキクガシラコウモリ。実をいうとこれは、展示標本だ ・左:乗鞍高原にあるバットハウス。クビワコウモリを保護するためのものだ 右:青森県で見た雨戸のようなバットハウス。ヒナコウモリ用だった ・左:枯れ葉の中で眠っていたコテングコウモリ。実にかわいい! 右:コテングコウモリが宿にするのはこんな葉っぱだ。見かけたらそっと中をのぞいてみよう ・クビワオオコウモリの首のまわりのふさふさした毛。なるほど首輪だ ・左:「そんなに見つめないで」。とでも言っているような憂い顔のオオコウモリ 右:オオコウモリのペリット。集団で訪れる場所にはいくつも転がっている ・石垣島でかつて目にした看板。いまもあるのかどうかは知らない ・コウモリガ。飛びながら産卵する習性があるが、その場面はまだ見ていない  
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
コラム:寒暖変動しながら暖冬(あぜみち気象散歩102) |
秋に続き、この冬も寒暖変動が激しかった。11月頃から約2週間の周期で気温が変動した(図1)。
暖冬だが約2週間ごとに寒気入り大きく変動
図1 地域平均気温平年偏差5日移動平均時系列(2023年12月~2024年2月)(気象庁)... |
|
|
|
|