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高貴なるクリーナー――センチコガネ(むしたちの日曜日76)  2019-03-18

●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治  

 
 世の中、ちょっとした雲古ばやりである。子どもたちに雲古のドリルを与えれば学習意欲が増して学力が向上するとか、雲古しばりの読み物、雲古の絵本などが次々と出てくる。ちなみに、雲古しばりといっても、ひものようにのばした雲古で何かをしばるわけではないので、誤解なきよう。
 こんなに雲古が活躍するからといって、便秘が解消したという話はまったく聞かない。雲古本を下剤代わりにしようと考えたなら、あきらめるのが賢明だ。
 なんていいつつ、雲古がらみの虫の話を持ち出そうとしているのだから、世話はない。
 
 事の始まりというのか、きっかけは「啓蟄(けいちつ)」だった。二十四節気のひとつで、冬のあいだは土の中にとじこもっていた虫たちがはいだしてくる時期とされている。
 中国では「驚蟄」とあらわし、雷が鳴ってびっくりした虫が地上に出てくるという意味で使うという。だからまあ、現代の日本人の見方・感覚と同じで、春の虫が動き始める時期ということにはなる。もっとも、もともとは中国から仕入れた文化だから、当たり前といえば当たり前だ。
 
 虫が動けば、虫マニアの活動季節到来となる。
 「では、いざ!」
 意気込んで野外に飛びだすのだが、かなしいことにスギ、ヒノキといった樹木の花粉がわが身を苦しめ、まさに出鼻をくじく。くじかれた鼻からは液状のものが排出され、まなこの蛇口も開かれる。そこで下品にも、雲古ならぬ、クソーッなどということばを口から押しだす。
 口や目、鼻と並ぶ重要な人体器官の一部からは、ご存じの雲古がおでましになる。そうならないとまた問題だが、ホモ・サピエンスのオトナはなんとかして隠そうとする。するとコドモたちは感覚するどく、雲古、雲古を連呼するのだ。その結果がドリルの大ブレークをも招き寄せ、経済の活性化に少なからず貢献する。
 だから、雲古はえらい!
 
 古い雲と書いて、「雲古」。この表現はもちろん当て字だが、古くから、けっこうな割合で使われてきた。わが家のパソコンのキーボードをたたいても一発で変換されることはなく、かろうじて出てくる同音の文字は「雲鼓」である。
 江戸時代には堀内雲鼓と称する俳人がいたが、その名の由来は知らない。雲鼓そのものは「雲の鼓」の意味であり、雷を指す語として用いられる。むかしの人はなかなか、趣のある表現をしたものである。
 
 そんな気持ちで虫を思い浮かべると、啓蟄からはミミズが浮かぶ。かのチャールズ・ダーウィン先生も注目したミミズさんである。
 そう思って春めいた川べりを散策したら、サクラの木々の根元あたりで、いくつものミミズの糞塚を見つけた。
 ミミズは土のなかで逆立ちをし、おしりを地上につきだして、扇状にダップンしていく。脱糞と書くのが正しいのだろうが、片仮名で表記するのには、ちょっとした理由がある。とてもまねできぬ逆立ち排泄行為が、ゲーム感覚で行われているように思えるからだ。
 そのダップンの結果、地上にはいくつもの塚ができる。モグラ塚に比べると規模こそ小さいが、その数は相当なものである。
 ミミズの雲古が肥料として有用なことは、いくつかの農業研究機関がお墨付きを与えている。畑の土に混ぜこめば、作物も喜んでくれる、ありがたい大地への贈り物である。
 
 ミミズならずとも、生きものはみな等しくダップンする。そして、からだの大きなものからはたいてい、大きな贈り物がもたらされる。
 一般的なイメージでいけば、国内では牛、外国ではゾウの贈り物が立派なものとして連想されようか。それらがもたらす滋養が植物の繁栄につながるのだから、自然界にはほんとうにむだがないものだと感心する。
 
 日本が生んだ文豪のひとり、谷崎潤一郎は「厠(かわや)のいろいろ」や「武州公秘話」で、中国の倪雲林の厠の故事というものを紹介している。
 厠というのはトイレのことで、その中身はいわゆる雲古ネタである。じつに潔癖症であった倪雲林という御仁が雲古を排泄する場の様子を描いた。
 まったくもって興味深い。ぼくはそのくだりを何度も読み返したが、ひとには、落としどころから話すのがいいようだ。
 といっても、近ごろの芸人が口にするオチのことではない。雲古が落ちていく先という、そのまんま、そのものの意味である。
 
 そこには、どうやって集めたのか無数ともいえる蛾のはねをためこんだ壺があり、そこに向かって、上の方からスーッだかボトン、ボットンだか知らぬが、そんな感じで雲古が落下する。するとその音すら消し去るように、蛾のはねたちがやわらかーく、おしとやかに雲古を包み込んでしまうのだ。
 文豪は雲古というありきたりの表現ではなく、「牡丹餅」にたとえ、それをたちまち中へ埋めてしまって見えないようにするしかけだと著した。そして、厠の設備として古来このくらい贅沢なものはあるまい、と付け加えた。
 いやあ、すごい。カンゲキものである。ぼくは学生時代に蛾の採集を何度もしたが、「飛んで火にいる夏の虫」のごとく、うまくすれば数百匹の蛾を手にするのは難しくない。だが、そのはねだけをむしりとって壺におさめるとなると大変な作業になる。
 しかも、おそらくは使用後にその壺の中身はどこぞにやられるだろうから、常に新鮮なものを確保するとなると、高貴な御方に使える者たちの苦労はいかばかりか。その気苦労で便秘になった者が続出した、なんてことは一切書かれていないのだが……。
 
 ダップン、いや脱線ついでにいうと、谷崎はこの話を、志賀直哉が故芥川龍之介から聞いた話として記している。しかしそれは誤りで、もともとは「鵝鳥(がちょう)の羽」だったものを幸田露伴が「鵝の羽」として誰かに話したか誰かが聞き間違えたかして、それが伝わり話されるうちに、「鵝」が「蛾」に化け、ついには谷崎の筆からこぼれ落ちたという次第である、という人もいる。
 いずれももっともらしい話に聞こえるが、仮にガチョウの羽だったとしても、谷崎が記した蛾の方がより風雅であるとぼくは思う。
 それはともかく、ことほどさように、ヒトさまの雲古はいにしえより、強い関心を持たれてきた。しかし最終的には誰かが、あるいは何者かが片づけてくれないと、いずれはこの地球が雲古に押しつぶされてしまう。
そうならないように力を尽くしてくれているのが、俗に「フンコロガシ」と呼ばれるふん虫たちだ。
 そのふん虫の季節がすぐそこに来ている。そのきっかけを啓蟄がくれたのだ。
 年に1回開かれる虫の催し会場に出かけると、きんきらきんのセンチコガネが水槽のなかでうごめている。写真撮影が禁じられているから見せられないのが残念だが、同類はわが家の周辺でも見ることができた。犬の散歩コースになっているらしく、マナーの「良い」飼い主が、散歩道として使っているお礼のつもりなのか、道路わき、雑木林のへりにお土産を置いていってくれるからだ。
 「なにぃー! けしからん話ではないか!」
 と息巻くのもいいが、プチ生物研究家でもあるぼくは「ふん、ふん」と笑みさえ浮かべてうなずくだけである。だって、そのあとにはふん虫がやってくるんだもーん。
 
 犬が落とす。
 ブーンという羽音が聞こえるくらいの勢いでセンチコガネが飛んでくる。
 そして、ブサイクな着地。
 人間だったらイテテ……と言いそうなものだが、彼らは鋼鉄のようなよろいのからだを有するためか、そんな愚痴はこぼさない。
 それからは、ふん虫らしく、犬のふんの処理にとりかかるのである。
 わざわざ牧場に出かけて、牛の雲古をひっくり返す作業をしたこともあるが、そんな苦労をしなくても、家のすぐ前で偉大な掃除人、いや掃除虫と出会えるのだ。こんな幸せはない。
 ところがである。それもわずか数年で思い出話になった。雑木林が消え、代わりに家が幾棟も建ったからだ。
 ひとのことは言えない。わが家だって、たぶんそうやって開拓された土地にできたものだろう。
 
 でも、センチコガネの仲間であるふん虫は、地球温暖化の救世主になり得るという報告がされたこともある。犬の雲古はたかがしれていようが、牧場の牛のものはでっかく、大量である。世界に目を向ければ、牛をふやす国が多くなっているようだ。
 牛のゲップが地球温暖化に拍車をかけるといわれて久しい。胃でえさを分解するときにメタンガスが発生し、その多くがゲップやおなら、雲古となって外に出るからだ。
 ふん虫が雲古にもぐりこむことで、雲古に穴ができる。雲古ももちろん食べる。そうした習性のおかげで雲古が発するメタンガスがいくらか抑えられるという研究結果が公表されたこともある。
 実際にどの程度の抑制効果があるのか、逆に弊害をもたらす心配はないのかといった課題はあっても、ふん虫が役立つなら、長く元気で繁栄してほしい。
 そのために何ができるのか?
 そこがいつも悩みどころなのだが、ぼくにできることは限られる。まずは、ふん虫の生活をのぞき見ることだ。
 そのためのシーズン入り。
 さあて、マスク・眼鏡・目薬持って、花粉飛び散る野外に繰り出しますか。
 チョット、シンドイ、キセツダケレド……。
写真 上から順番に
・春は花粉の吸い込みに要注意。なんて言われても、息をしてしまうよね。泣けるよね
・ミミズのふん塊。逆立ち状態で脱糞するのが彼らの流儀だ
・ふん虫は地球温暖化を抑える救世主になるのか? そんな大きな課題には関係なく、ふんと虫との関係はうんと長いむかしから続いている
・「わあ、蛾だ!」。たった数匹でも大騒ぎになるのに、そのはねを大量に集めるとしたら……考えるだけでオソロシイ
・ひと知れず働くセンチコガネ。人間だったらいやがる仕事も、彼らには日常であり生きる糧でもあるのだ。エラい!
・牛さんの落とし物。ふん虫にとってはうれしい贈り物に見えるのだろうな
・いつかは自分で捕りたいダイコクコガネ。そのためにはまず、牛をてなづける技を身に付けないと

 
 
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