有名すぎて近寄りがたい?――フナムシ(むしたちの日曜日79) | 2019-09-18 |
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●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治 |
「ゴキブリがいたよ。でも、シューしてやっつけたから、もう大丈夫!」 カレンダーの後ろから出て来たところを専用殺虫剤で退治したと、家人が言う。ぼくはまず殺虫剤を使わないが、自分で見つけたわけではないので、まあ仕方がない。ゴキブリには気の毒だが、とりあえずは一件落着ということにしておこう。   それにしてもゴキブリは気の毒な存在だと、あらためて思う。人類よりもずっとずっとずーっと前に地球に現れた大先輩なのに、敬意をもって接してもらえることはまずない。 そういうぼくも同類である。写真に撮ってからパチンと叩くという手順が違うくらいで、結果的には同じことをしている。野外にいっぱいいるモリチャバネゴキブリなら、ああ、いるかとチラ見する程度でやり過ごすのに比べると大きな違いだ。   海岸に行くと、そのゴキブリにあやかった名を持つ「海のゴキブリ」がうじゃうじゃといる。 フナムシだ。英語でも「ウォーフ・ローチ(ふ頭のゴキブリ)」というから、洋の東西ともに認識は同じようである。誰が名付け親なのか知らないが、言い得て妙、なかなかすぐれたネーミングセンスの持ち主ではある。 だがしかし、ちょっと見ればたいていはそんな感想を持つのではないかとも思えてくる。そんなあだ名があることを知るはずもない幼い子どもでも、「なんだか、ゴキブリみたいだね」と言うのを聞いたことがある。だからまあ、多くの人が直感的にイメージするものであるようだ。   ザザザッー。 サササッサー。 ざわざわぞわぞわ――。 あの動きがよろしくない。集団競技の場でもないのに、複数の、しかも大量のムシ軍団が一斉に動く。危険を感じて逃げ惑うところといえばその通りかもしれないが、大集団でひとつの体であるかのような動きをするのがいけない。ニンゲンのぞぞぞっという感覚が一気に目を覚ますのだ。   海岸に下りる。 大きな岩の端っこに、なにやら生き物の気配を感じる。 そーっと近づき、岩に手をついて確かめようとする。 と、まさにその時、ざざざっと動くものたちに気づく。かみつかれたわけではない。かじられてもいない。だがなぜだか、反射的に小さなパニックを起こすのだ。 「わわわ、フナムシだー!」 そう叫ぶとき頭にあるのは、やはりゴキブリだ。ゴキブリ以外に思いつくものがあったら、教えてほしい。いや、聞かない方がよさそうだ。もっと何かイヤラシイものだと、かえって逆効果になる。   曲亭馬琴(滝沢馬琴)の『南総里見八犬伝』に登場する船虫は希代の悪女として描かれ、ついには牛に突かれて死んでいく。舟をぼこぼこにするフナクイムシは名前こそ似るが、赤の他人の二枚貝の仲間だったよなあ。そうすると船虫のモデルはフナムシではなくてフナクイムシだったのかなあ……などというどうでもいい連想が、フナムシを目の前にするとなぜだか突然、頭の中で結びつく。 急に動くから、いけないのだ。「動くよー」とでも言ってくれれば、心の準備もできる。 初めて石垣島に渡った時、民宿のオジイに言われたものだ。「本島のハブはいきなりかむけど、石垣島のハブは『かむよー』と言ってから、かむサー」 ハブだって、それくらいの礼儀はわきまえている。それなのにオマエたちはどうして、それができないのか。いつかヒマな時、とうとうと言ってきかせたい。
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しかしまあ、冷静になって考えれば、フナムシはゴキブリの仲間ではない。ダンゴムシやワラジムシ、グソクムシなどと同じ甲殻類だ。 ということは、広い意味ではわが愛するカブトガニやカブトエビと同じではないか。エビやカニと同類ではないの。 そう思って見直せば、ゴキブリにはちっとも似ていない。あしの本数だって6本ではなく、7対14本の胸脚を持ち、それを使って歩く。それだけみても、昆虫とはちーっと違うのである。 砂浜には、ご親せきのハマダンゴムシさんがいる。そちらとなら、いささかの付き合いがある。海から遠く離れたわが家でいえば、ほぼ毎日のようにダンゴムシ、ワラジムシとの出会いもある。いってみれば、ご近所さんだ。 そこまで考えれば脳みそもクールダウンしてきて、「どれどれ、拝見しますかな」となって、正常な観察モードに切り替わる。   よくよく見れば、なかなか、かわいい目をしている。なるほど、ダンゴムシ、ワラジムシの仲間のようだ。いくつかの節からなる体も、彼らにそっくりである。 集団でいるから何をするのだろう、何をされるのだろうと不安にかられるが、1匹だけ見ている分には、気色悪いという感じはしない。 だからなのか。「海のゴキブリ」とさげすむ一方で、ペットとして飼ってみようという人たちがけっこういる。珍しい種類だと勘違いしたナメクジをしばらく飼ったことがあるが、それに比べればしごく真っ当、幼な子がダンゴムシを集めて話しかけるのと変わらぬレベルのムシ愛だといえよう。   群れが移動したあとを見れば、脱皮殻もよく見つかる。あれだけの集まりの中で服を着替えるのも、大変だろう。いま飼っているスズムシなんぞ、脱皮を邪魔されると、はねが縮んだままになる着替え事故も少なくない。それなのにきちんと脱ぐことができるのは、ひとつの芸のような気がする。   フナムシもダンゴムシと同じように、体の半分ずつ皮を脱ぐ。実際には見ていないが、これまたダンゴムシと同じで、最初に後ろ半分を脱ぐことが多いらしい。人間でいえば、ズボンから脱ぐようなものである。 いくら脱ぎ上手でも、失敗はあろう。何かのトラブルに巻き込まれて、触角が切れたり、あしが折れたりすることもあるだろう。 ところがよくしたもので、そうやって欠損した部分はあんがい早く再生するようだ。飼育・観察した人たちがそう報告している。たいていは脱皮することで元通りになるようだが、そんな手間をかけなくても生えてくることもあるらしい。 脱皮後に再生するところは、何度も飼ったナナフシのようなものだろう。カニだって、落としたはさみが元通りになる。そういうところはなるほど、一族の特殊能力なのだと感心し、うらやましくも思う。
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興味深いのは、あしで水を飲むという秘技だ。もちろん、人間が口から飲むようなのとはいささか、いやまったく異なるが、わかりやすく言えばそういうことだ。 胸脚は7対だが、腹側にある腹脚は6対12本で、しっぽに近い後ろ2対がえらとして働く。水分を補わないと、命の危険につながる。ダンゴムシやワラジムシは口から水分を補給する点で、仲間とはいえ、少し異なる。 だったらずっと水の中に入っていればいいようにも思えるが、そんなことをすると今度は呼吸できずに死んでしまう。えら呼吸する生きものではあるものの、海水の酸素濃度が体に合わないらしい。意外にデリケートな面もあるようだ。   そんなこともあって海岸では岩場にいることが多く、潮だまりにどっぷり浸かることはない。水分は必要だが、浴びるほどは求めないのだ。 いってみれば、節度ある給水か。「お酒はたしなみますが、ほどほどが一番ですなあ」と言うニンゲンにも似て、よくデキたムシさんではある。 なーんて思ったとしたら、それは早計だ。性格ではなく、そういう体になっているから、そうなるのである。 ふだんは浜辺に打ち上げられた海藻や腐りかけの魚などを食べている。見かけは派手だが、ほんとうは心やさしいムシさんなのかもしれない。「海のゴキブリ」が有名すぎるゆえの誤解なのだろうか。 ダンゴムシも同じように、腐りかけ湿ったものを好んで食べたり、すみかにしたりするが、水の中にドボーンと落としたら、しばらくして☆になってしまう。良い子はまねをしないことだ。 毛嫌いしてきたから、飼ってみようと思ったことは一度もない。それでもちょっと調べたところ、えさやりは苦労せずに済みそうだ。水でもどした乾燥ワカメやカメ用の粒えさでいい。 寿命は約半年。興味があれば、実際に飼育して脱皮や再生の様子を観察し、繁殖に挑戦するのもいいだろう。 注意したいのは、きれいな環境を保つことである。汚濁をものともしないゴキブリにたとえるのはニンゲンであって、彼ら自体は清潔なすみかを好むという。   気の毒なことに、魚たちにとってはおいしい食材となる。イシダイやアジ、メジナをねらう釣り人の中には愛用している人もいるとか。そんなことも考えると、いささか同情したくなる。 それでもやっぱり、あのぞぞぞ感はいかん! どうにも頭から離れないのだ。 「海のゴキブリ」のイメージがそれほど強烈だということになる。キョーイクのおそろしい一面を見たような気がする。 でも悔しいから、その命名センスだけは見習おーっと。 |
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写真 上から順番に ・フナムシがいる海岸。と言わなくたって、たいていの海辺にはいるようだ ・石の数にも負けないフナムシ、フナムシ、フナムシ……。さて、何匹いるのでしょうか ・遠目には貝に見えたのだが、近づいたらなんと、フナムシの群れだった ・ワラジムシの集団。こちらもけっこう嫌われそうだが、フナムシ軍団と比べてどうだろうか ・「海のゴキブリ」なんて呼ばれるが、意外にかわいい目をしている。おしゃれなサングラスに見えなくもない ・脱皮したばかりのフナムシ。体の半分ずつ脱ぐところはダンゴムシと同じだ ・フナムシの親類ともいえるワラジムシ。でも彼らは口から水分をとるところが、フナムシと異なる ・こんなところがフナムシ好みの休息場。ちょっと湿っているんだね ・「おい、。気をつけないと、イシダイのえさにされるぞ」「そうなの。さっき聞いて驚いているのよ」「逃げろー!」 |
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