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毛皮を羽織った貴婦人――ミノウスバ(むしたちの日曜日74)   2018-11-19

●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治  

 
 ギフチョウをどうして、「春の女神」にたとえるのか。以前からずっと、気になっている。
 同じようにカンタンをなぜ、「鳴く虫の女王」と呼ぶのだろう。
 どちらもメスとは限らない。オスがいるから、メスがいる。まあ、なかには単為生殖する虫だっているが、鳴くカンタンがオスなのは明らかだ。オスは、メスを誘うために鳴くのが普通だろう。
 なーんて無粋なことを口にするから、へそが曲がっているなんて言われるのかもしれない。
 早春の一時期だけに姿を見せるギフチョウが「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」と言われるのはいい。いじいじ・めそめそしたところがなく、散る桜にも似て、いっそ、すがすがしい。それに氷河期はとっくに終わったというのに、防寒コートのような毛深いはねを持ったまま、頑固なまでに自分の装いを変えようとしない。実に、アッパレである。
 昆虫図鑑をながめながら、そんなことを漠然と考えていた。
 
 すると、タイミングよく、声がかかった。
 「あのね、これ、いたんだけど……」
 家人がビニール袋に入れて持ってきたのは、羽化したてのミノウスバだった。
 ――カッコいいなあ。
 何度か見ているが、あらためて、そう思った。
 薄いはねに、ちょっとだけ付いた細かな毛。それが実にいいバランスで張り付いている。これが蛾の一種なのだから、うれしくなる。
 なんだかんだと言いながら、これを見たとたん、「貴婦人」ということばが頭に浮かぶ。これでは女神や女王を批判できぬ。
 「それって、もしかして、うちにいたアレかなあ」
 「かもしれないね」
 日頃から虫に接している家族なので、こんな会話でだいたい通じる。
 
 ことしの春は、さんざんだった。玄関の脇に植えたマサキの話である。
 最初に、細かいふんを目にした。そのあとはお決まりの行動だ。ジロジロじろーりと観察した結果、その丸い粒を製造した虫はミノウスバだと判明したのである。
 その数がハンパではない。あの葉、この葉としがみつき、食べつくし、そろそろどこぞへ出かけるかのう、という時期だった。
 予兆は感じていた。というか、気づいていた。庭で、もこもこした寸詰まりの芋虫に出くわすことがたびたび、あったからだ。
 薄いクリーム色の下地に黒のストライプを入れたおしゃれないでたちで、散歩をする。単独行動をとるところしか見たことがないので、マサキでそのようなどんちゃん騒ぎならぬ、集団生活をしているなんて、まったく知らなかった。
 あわてて本を開く。たしかに、マサキを根城にして大発生するとある。
 いまの家に住んで二十数年になるが、マサキに虫がつくことはなかった。
 
 わが家ではマサキの隣にツバキやサザンカが植えてあり、そこはたびたび、ドクガさんが利用してくださる。
 「あー、ドクガさん、ことしもいらっしゃったのね」
 なんて冗談でも言えればいいのだが、目にする時にはもうある程度大きくなり、行儀よく並んでお食事をなさっている。それをはしで1匹ずつつまんでは、水を張った容器に落としていく。
 これがなかなか、大変だ。何度もやっているから慣れてはいるが、それでも油断すると、つーっと糸を引いて落下する。しかも振動が伝わるのか、そのお友達も一緒につー、つーっ……。
 そうなったら、もうお手上げだ。しばらくそのままにしておき、時間をおいて、再度挑戦することになる。
 ふつうは、こんなことをしない。農薬をブワーッとまいて、絶命するのを見届ける人が多いようだ。
 ドクガに好かれるのはいやだが、その隣のマサキはノーチェックだった。それが二十数年目にして、初のご利用・ご滞在となったのだから、まさに虚をつかれた感じだ。
 いやいや、そう言うとミノウスバに悪い。予想以上に多くてとまどうのはたしかだが、けっして嫌っているわけではない。
 漢字では「蓑薄翅蛾」と書くらしい。あの毛の様子を、蓑に見立てたのだろう。
 薄いはねを持つから、「薄翅」。半透明の美しいはねの特徴を、端的に言い表している。
 蓑とくればミノムシ、薄翅とくれば、ウスバシロチョウを連想する。
 ぼくは薄いはねの虫が好きだ。ウスバカゲロウ、ウスバキチョウ、ウスバツバメ。どれも実に魅力的な薄いはねを持つ。なかでもウスバシロチョウが大好きだ。
 ところがすこし前から、ウスバシロチョウは「ウスバアゲハ」と称するのがよろしい、という声が高まり、その辺の事情にうといぼくは、何も考えずに、それならウスバアゲハにするか、と安易に置き換えていた。
 なぜならこのチョウは、アゲハチョウ科に属するからだ。ゆえに、シロチョウ科と間違えるシロチョウという呼称を使うのは妥当ではない、と。
 だがしかし、長いこと親しんできた名前が急に変わると、どうにも落ち着かない。「標準和名」というように、和名は唯一無二のものであるというわけでもない。あくまでも標準的な名前と考えればいいようだ。
 
 
 
 そういえば、カイコの原種とみられるクワコも「クワゴ」という人がいる。世界最大級の蛾であるヨナクニサンは、「ヨナグニサン」とも呼ばれる。だからウスバシロチョウもいままで通り、シロチョウの名前を使いたい。
 で、ミノウスバである。
 マサキに群れていた幼虫たちは、時期が来ると移動して繭をつくる。そして秋まで眠る。
 心の準備ができていなかったぼくは、まだいいだろう、もうしばらくしたら捕まえて繭をつくるところを観察しよう……とのんびり構えていた。
 と、案の定、タイミングを逃してしまった。
 あーあ、がっかり。残念無念。
 そう思っていたら、チャンスが再び訪れた。たまたま遊びに出かけた山梨県の里山で、あの幼虫軍団に出会ったのだ。
 もう迷ってはいられない。ぼくはいつも持ち歩いている小さなビニール容器に数匹移し、大事に持ち帰った。そしてそれは無事に、繭になった。
 
 
 
 そんな話を友人にしたら、あきれた顔をされたものだ。
 「えーっ、そんなに害虫が欲しいの? マサキに毎年いっぱいいるから、こんど持ってきてあげるよ。うちにいるのを全部進呈するよ」
 せっかくの申し出だが、即座に断わったのは言うまでもない。
 眠りこけていたミノウスバの成虫は秋になると出現し、マサキなどに卵を産む。
 そして、それがふ化するのは翌年の春。つまり、気をつけていれば来年、ご子息に会うことができるのだ。何の苦労もなく、玄関から歩いて1分のわが家の庭で――。
 だがそれは、たぶん不可能だ。なぜなら、そんな出会いが期待できる希望の木だということをすっかり忘れ、伸び放題になっていたマサキを、ばっさばっさと刈り込んでしまった。
 (来年はやっぱり、友達の家からもらうかなあ……)
 話題ならぬ笑いを提供すべきか、わが家のマサキが再び育つまで待つべきか。
 蓑ならぬコートを着る季節になったいま、真剣に考えている。
写真 上から順番に
・ギフチョウはオスでもメスでも「春の女神」。たしかに美しいチョウではあるのだが、全部がメスであるはずはない
・家族が捕まえたミノウスバ。このふさふさ感がたまらない
・ミノウスバの幼虫。数が少なければ案外かわいらしいと思うのだが、どうだろう
・あまり歓迎したくないドクガだが、わが家のツバキやサザンカの木では毎年のように大発生する
・はねの薄いウスバツバメ。こんなに美しいが、所属は蛾だ
・左:アゲハチョウ科だから「ウスバアゲハ」と呼ぶ機会がふえたようだが、いまも昔ながらの「ウスバシロチョウ」の名を使う昆虫ファンは多い
・右:玄関に飛んできたクワコ。ぼくは、「クワゴ」とは呼ばない
・左:旅先で見つけたミノウスバの幼虫。なぜだか懐かしく、数匹持ち帰った
・右:飼っていたミノウスバがつくった繭


 
 
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