天翔(か)ける夜のチョウ――スズメガ(むしたちの日曜日78) | 2019-07-16 |
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●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治 |
令和という新しい元号にまだ、なじめないでいる。だからというわけでもないが、幕末から明治のころ、まさに時代が大変革を起こしたころの日本人がいささか気になる。 ――そういえば名和靖も江戸時代の終わりに生まれて、明治、大正を生きた人だったよなあ。 岐阜市にある名和昆虫博物館の初代館長であり、ギフチョウの発見者、農業害虫のぼく滅に力を注いだ「昆虫翁」としても知られる人物をふと思い出した。 ぼくの第二のふるさとといってもいい土地で、通称「名和昆」は岐阜公園の一角にある。園内にはちいさな水族館もあり、そこにはオオサンショウウオが何匹か飼われていた。     そんな記憶をたどりながら、名和の生涯が描かれた本を開く。そこでまた、しばらく忘れていたことばに出あった。 「天蛾」だ。児童向けに書かれた『昆虫翁 名和靖』(木村小舟・著/国土社・刊)には、名和の片腕ともいえる名和昆虫研究所技師の長野菊次郎が中心になって編集・執筆した『日本テンガ(スズメガ)図説』として紹介されている。 そこでは「テンガ(スズメガ)」と表記されているが、おそらくは児童読者に配慮しためで、正しくは『名和昆蟲圖説第一巻(日本天蛾圖説)』だ。エビガラスズメをはじめとする34種が載る。 この長野技師もまたすごい人で、九州で生まれて東京の中学校で博物科を教えていたが、岐阜の中学校に移ったのを機に名和と交流するようになり、ついには技師となって、最後まで名和を支えた。 その貴重な図説の実物を手にしたことはないが、大型種が多いスズメガにふさわしい四六四倍判(縦37cm×横25.8cm)というビッグなサイズのページに、幼虫、さなぎ、成虫が実物大で描かれている。
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ぼくが蛾に興味を持った最初はスズメガだった。学生時代、いわゆる生物クラブに入り、仲間と一緒になって蛾の採集をするようになった。 メンバーの多くは幼いころから採集に親しみ、しかも岐阜という土地柄もあって、ぼくとは比べものにならない虫の知識や採集体験があった。鳴く虫を飼うことではいくらか経験があったものの、虫を採集し、死したのち、はねを広げて標本にする、なんてことはしたことも考えたこともない。 ましてや、蛾を集めるなんて。第一、どれもこれも同じにしか見えないではないか……。 そこで先輩の勧めもあり、いささかの興味もあって手をつけたのが、スズメガの採集・展翅だった。デカいから、扱いやすい。 「天蛾」ということばを知ったのもそのときだ。カミキリムシを「天牛」と呼ぶことだって、それまでまったく知らなかった。 知らないというのはありがたいことで、それ以来ずっと、こうして虫たちに興味を持ち続けていられる。出遅れた分、楽しみもまだ途上なのである。 いまも基本的に、標本は作らない。学生時代の一時期に作ったものがあるだけである。   で、スズメガだが、すべての種が大きいというわけでもない。はねを開いて3cm程度のヒメホシホウジャクから15cmにはなるオオシモフリスズメまであり、かなり幅広い。共通するのは流線形の体に、細長い三角形のようなはねを持つことだろうか。 世界には1000種、日本だけでも70種ほどが知られる。数十種のスズメガがどどどーっと一気に押しかけてきたら、さぞかし壮観だろう。 それはともかく、固有名詞を挙げた2種のスズメガの名前から、気になることはないだろうか。     ひとつは、スズメガ科に属するのに、「ガ」と付くスズメガがいないことだ。そしてもうひとつは、種名にホウジャク(蜂雀)とかスカシバ(透翅)と付くように、「スズメ」すら出てこないスズメガがいるということである。動植物名の表記では慣例の片仮名で書かれると、スズメガを想像しない人もいるだろう。 蛾の多くは夜行性だ。それで俗に「夜のチョウ」と呼ばれる。世の中には別の「夜のチョウ」もいるそうだが、その方面はうといのでよく知らない。 スズメガも多くは、夜になると活発に行動する。しかも時差通勤さながらに、時間帯によって飛ぶタイミングが異なる。だから仮に望んでも、一度に何種類ものスズメガがどどっとやってくることはないはずだ。同じ種類なら何匹も何匹も集まることはあるのだが……。
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  そうした中、スズメガ科のホウジャクやスカシバの仲間はたいてい、昼間活動する。 「スズメガ科の」とあえて記すのは、まぎらわしいことにスカシバガ科という別のグループがあるからだ。そちらは、ハチに擬態しているとされるものが多い。ホウジャクなどは先に記したようにハチ(蜂)とスズメ(雀)の両方の文字を含むから、ますます困る。 いやあ、まいった、まいった。 と嘆いても始まらない。とにかくスズメガなのだが、ヒメスズメ、コスズメ、ミドリスズメ、ベニスズメといわれてすぐにスズメガを連想する人がどれほどいるのか。 ハクチョウの仲間にはコハクチョウがいる。「コ」はちいさいことを表す「小」で、鳥の話をしているときには白鳥の一種だとわかる。だが、突然耳に入ってきたら、判断に困るのはある意味、正常なのである。琥珀鳥だとか琥珀蝶なんて、存在しないものまで想像してしまう。   ベニスズメは鳥にもいる。ぼくが子どものころはジュウシマツやブンチョウと並ぶ、飼い鳥の普通種だった。だがこのごろは、鳥インフルエンザの影響もあってか輸入が難しくなり、数万円の値段設定になっているらしい。 もはや子どもには買えない、飼えない。だったら、ちょっとがんばれば見つかるスズメガのベニスズメに目を向けさせよう。 ベニスズメの成虫はなるほど紅色に見えるが、幼虫の体色からはとても想像できない。でもまあ、紅色やピンクのイモムシがそこらを歩いていたら、ぞっとする。ピンクは、クビキリギスぐらいがちょうどいい。
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このことはよく知られていると思うのだが、スズメガの幼虫の多くはイモムシ型だ。 そして、イモといえばサツマイモ。その畑に多く出没することからイモムシとなったのだろうが、現実世界ではさまざまな植物に依存する。それでヒトと出あう確率が高まり、オドロキが増す。     背中にドクロを背負ったようなクロメンガタスズメは南方系の大型の蛾だ。その幼虫には緑・茶・黄色の3タイプがあり、ぼくは黄色がいちばん美しいと思っている。それがなかなか見つからなかったのだが、ついにそれも目にすることができた。 ナスやトマトなどの葉もえさにするため、近年は行政機関も農家に特別な注意を呼び掛ける害虫となってきた。温暖化と関連付けて、北上を指摘する声もある。   だが、むかしから知られるおもな食草はゴマだ。年配の農家の人たちは、シモフリスズメの幼虫ともども「ゴマムシ」と呼んできた。 この蛾は幼虫、成虫ともに、何かあるとチイと鳴く。かわいいというのか気色悪いというのか迷うところではあるが、とにかく鳴くのだ。並みの蛾は鳴かないので、その点では格が上だろうか。   夏の夜には、白くてあやしげなカラスウリの花が咲く。 一種独特。見ようによっては、異界への入り口ではないかと思わせる雰囲気がある。 その花の媒介役がスズメガだ。花の奥深いところに蜜があるため、くちの長い虫でないと、手が出せない。 手はないから口吻(こうふん)と呼ぶのが正しいのだろうが、それはともかく、スズメガのおかげでカラスウリは子孫が残せる。 では、そのスズメガがいなくなったら……。     カラスウリの一種に、キカラスウリがある。このごろ見る機会が減っているから、その減少の原因をつくったのは農薬だと考え、ビジネスとしての人工増殖を始めた人がいる。農薬をまきすぎた結果、スズメガが寄り付かなくなったという見方である。 同じカラスウリでも、キカラスウリの花は昼間も咲く。したがって、もしかしたらキカラスウリにはほかの授粉昆虫が関係するのかもしれないのだが、どちらにしても殺虫剤の使いすぎは確かに良くないのだろう。   ぼくが子どものころはよく、あせもを鎮めるために「天瓜粉」を塗ってもらった。その原料が、キカラスウリの塊根だ。できれば自分の手で、つくってみたい。 そう思ってわが家でもいま、キカラスウリを育てている。 雌雄異株の植物だから、雌株でないと結実は望めない。雄花に花粉をつけてくれてもしかたがないからだ。 だが、発芽したことでとりあえず、希望だけは与えてもらった。 さあ、スズメガはやってくるのか。 ――スズメガさーん、1匹でいいから、来てくださーい! 七夕の夜にそう願うべきだったが、いかんせん、雨で月も出なかった。 幸いにも、つるはどんどん伸びている。 スズメガも毎年、玄関まではやってくる。 あとはただ、待つばかりである。
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写真 上から順番に ・左:名和靖が発見したギフチョウ。まさに「春の女神」の風格がある ・右:「昆虫翁」名和靖の発案により建てられた駆虫の碑。いまも岐阜市内にある ・エビガラスズメ。見た目は地味だが、おなかを見ると赤い模様が隠れていて意外に派手だ ・わが家の玄関灯を目指して毎年、スズメガが飛んでくる。ことしはどんなのが来るのかな ・左:スズメガの幼虫も体形はいろいろ。共通するのは、ふつうはどれも嫌われるということだろうね ・右:モモスズメの幼虫。イモムシではあるけれど、ちょっとかわいい? ・左:クチナシの葉を食べるオオスカシバの幼虫。だけど、ちょっと離れたら、見えない。うまく隠れたなあ ・右:ホウジャクは漢字で書くと「蜂雀」。空中でホバリングし、長いくちを伸ばして奥深いところにある蜜を吸う ・ピンクのクビキリギス。捕獲したというので写真を撮らせてもらった。よく見るのは緑と茶の2タイプだ ・左:つい最近見つけた庭の巨大なキイロスズメの幼虫。ぼくの指よりも太いイモムシだ ・右:クロメンガタスズメには3タイプの体色がある。これは黄色型。ほかに茶と緑があるが、黄色が最も美しいと思う ・左:ゴマを栽培するとよく目にしたのが、シモフリスズメやメンガタスズメなどの幼虫、通称「ゴマムシ」だ ・右:夏の夜を彩るカラスウリの花。秋には赤い実をつける ・わが家で生育中のキカラスウリ。雄株なのか雌株なのか、まったくわからないが、まずは発芽してくれたことに感謝しよう |
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