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アブラムシ――個にとらわれぬ摩訶不思議(むしたちの日曜日98)  2022-11-15

●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治  

 
 井上靖の『しろばんば』は、作品名にもなっている「しろばんば」が夕闇に舞うシーンから始まる。子どもたちが綿くずのような白い虫を手でつかもうとしたり、ひばの小枝を振り回したりするシーンを描き、その名は「白い老婆」にちなむものだろうと推理している。
 「しろばんば」は、「雪虫」とか「綿虫」とも呼ばれる。北国では雪の季節の到来を告げるトドノネオオアブラムシがその正体だとされるが、この作品の舞台は伊豆だと知ると、はたして同じ虫なのかという疑問がわく。
 彼の地ではイヌマキを「ひば」と呼ぶそうだ。そしてそのイヌマキは「アスナロ」とも称することから『あすなろ物語』も生まれたのだと理解すれば、描かれた場面についてはとりあえず納得できる。
 だがしかし、雪国と同じ虫なのかという疑問は消えない。
 
 気になって調べると、トドノネオオアブラムシとは限らないようだとわかった。リンゴワタムシ、ケヤキフシアブラムシ、ヒイラギオオワタムシなども「雪虫」「綿虫」と呼ぶ地域も多いという。
 北海道では、本場の「雪虫」ならではのなるほどと思える体験をした。無数の、とはいえないものの、何匹もの雪虫がふわふわと舞う場面に遭遇したからである。
 寒さが迫る北海道では、雪虫が一種の風物詩になっている。
 ――ああ、もうすぐ雪が降るんだな。
 そんな雪国ならではの雰囲気が味わえただけでも、良い体験ができたとうれしくなる。
 
 そうやって降雪の先ぶれになる雪虫だが、舞うところを見たからといって、すぐに雪が降ることはない。それでも7~10日後には雪になるといわれてきたのだが、実際には俗説よりもずっと遅く、道内8都市の平均は3週間ぐらい後だったというデータが10年ほど前に公表された。
 となると雪虫の雪探知能力も疑いたくなるが、彼らは降雪予報をするために空中に飛びだすわけでもない。夏や秋が高温だと大繁殖するそうだから、地球温暖化の影響もあってずれてきたのかなあ、と素人は思ってしまう。季節性のある行動なら、温度の変化は無視できないと考えるからだ。
 トドノネオオアブラムシの名は、トドマツの根にすむ時期があることにちなむ。アブラムシの生活は風変わりだが、根で暮らすものなんて、そんなにいるのだろうか。
 ヤチダモやアオダモの幹で冬を越した卵からかえったトドノネオオアブラムシの幼虫はその新芽に寄生して育ち、初夏には成虫になる。それから単為生殖によってメスだけで繁殖し、はねのある成虫になったら、トドマツに移動する。そして根や地際で暮らし、単為生殖で増殖を繰り返す。
 そして秋になるとはねのあるメス成虫が現れてヤチダモなどに移り、雌雄を産む。それらは交尾・産卵して死ぬが、次の年の春になると卵がふ化し、新しい生活が始まる。
 ――とまあ、これは解説書の受け売りでしかないのだが、実際には年に2回もはねのある成虫が飛ぶところを見る機会があるのだ。
 それなのに人々が気づくのは、晩秋のトドマツからヤチダモに引っ越しする時期だけ。初夏には数が少なく、晩秋には群飛といってもいいほど多数の飛翔を見せる。それが「雪虫」の生活実態らしい。
 
 それにしてもアブラムシは、なんとも興味深い昆虫だ。国内では800種ほど見つかっている。それだけ数が多いためか、「雪虫もどき」と呼びたいものは関東でも幾度か目にした。種名はわからないが、ヒイラギやキンモクセイ、ケヤキはあちこちにあるから、それらに依存するアブラムシだろうか。
 
 この時期に気になるのは、ヌルデシロアブラムシとかヌルデオオミミフシアブラムシと呼ばれるアブラムシのつくる虫こぶだ。アブラムシが寄生して増殖すると、葉が奇妙な形になる。
 困ったことにぼくは、そうした変形体が大好きだ。
 
 虫こぶにもいろいろあるが、たとえばエゴノネコアシアブラムシがエゴノキにつくる虫こぶ、イスノフシアブラムシやモンゼンイスアブラムシなどがイスノキにつくる虫こぶだ。前者はネコのあしを思わせ、後者にはオカリナのイメージが漂う。その形状がなんとも心動かす存在なのである。
 ヌルデの虫こぶ探しで注意しなければならないのは、ウルシ科の樹木であることだ。その葉の軸には翼のようなものがあるから識別は容易だが、人によってはかぶれることがある。幸いなことにぼくはなんともないので、ヌルデの虫こぶを見ればどうしても手に取りたくなる。
 
 と思ってヌルデの葉をながめると、じんましんでもできたような小さな突起を持つ葉もよく見つかる。そのぶつぶつは、ヌルデハイボケフシというヌルデフシダニの一種のしわざらしい。アブラムシでさえ十分に小さい。それよりもさらにミニサイズのダニとなったらお手上げだ。
 現存する日本最古の薬物辞典とされる平安時代の『本草和名』にはその虫こぶを、「ヌテンノキノムシ」の名で呼んだとある。それがのちに「奴留天」と表記され、「天」は「手」を意味するして「奴留手」となり、そこから「ヌルデ」の名が生まれたらしい。
 ヌルデの木を傷つけると、白い液が出る。それが物を塗るのに使えることから、「塗る手」がなまって「ヌルデ」になったというのだ。ウルシ科の樹木だから、納得の説明ではある。
 
 ヌルデの若い虫こぶには、ビロード感がある。そのアブラムシが脱出して枯れればその味わいはなくなるが、まだ中に潜む間はなんとなくソフトな印象がある。
 漢方でいうところの「五倍子」「附子」は、アブラムシがうじゃうじゃといるときに採取した虫こぶを用いる。それを蒸し、乾燥させたものを保存して利用するのだ。
 かつてはお歯黒の原料になり、インクや染料にもなった。それなら一度は試したいと思いながら、ほかのあれこれ同様に、まだやってない。それよりも今年は、ヌルデの実だ。
 その実には、塩味が感じられる。だから、そこに着目すればヌルデは「塩の木」でもある。塗り物や染料になるだけでなく塩にもなるなんて、なんともありがたい木だ。
 過去にはその塩つぶを見つけて口にしたこともあるのだが、あのしょっぱさがまた味わいたい。そう思って、かなり早くから実が取りやすい木を探していた。
 
 よそではどうなのか知らないが、わが家の近くには実の採取に適した木が少ない。ヌルデの木はよく見つかるのだが、花を見て実がなったところまでは見届けることができても、塩が出た実は見つからない。
 若い実がなる木は何本か見つけた。あとはそれが塩をふくのを待つだけなのだが、さてどうなるのか。
 アブラムシに目を向けながら、気がつけばその寄生先の家主に気持ちが傾いている。ヌルデにはどうも、まやかし効果もあるようだ。
 
写真 上から順番に
・ふさふさの毛皮をはおったような「雪虫」
・イヌマキの実。地域によってはこの木のことを「アスナロ」と呼ぶそうだ。アスナロは雪国にあるヒバのことだと信じていたのに、木の名前は思った以上に柔軟だ
・出産中のアブラムシ。おしりから出るのは卵ではなく、幼虫だ。人間でいうところの逆子の状態で外に出る
・イスノキにできた虫こぶ。すでに穴が開いているので、笛として鳴らすことができる
・ヌルデの葉にできたあばた。これをつくったのはダニだ
・ヌルデの実。粒のひとつずつから塩がふきだしたように見える
・ヌルデの虫こぶから出てきたアブラムシの群れ。虫こぶを使う際には、アブラムシが出る前に蒸し殺したそうだ

 

 
 
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