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大石和三郎とジェット気流の観測 【2】  2016-07-15

●NPO法人シティ・ウォッチ・スクエア理事長 林 陽生  

 
大石が生まれた時代-ふたりの気象学者
 初代の舘野高層気象台長となった大石和三郎について、国際的にはあまり知られていない。高橋ほか(1987)がまとめた「気象百年史」によると、上層の強風帯を発見、あるいは、ジェット気流の存在を推論、とある。同時に、エスペランティストだったことが記載されている。これらの情報源は、大石の高層気象観測に対する思いをつづった「長峰の思い出」(大石、1950)で、死の直前に書かれた遺言ともいうべきこの出版物による部分が多い。
 
 大石の生まれた時代を顧みる場合に、同時代の代表的な気象学者である岡田武松の経歴と並べると非常に興味深い。表1に大石、表2に岡田の経歴の概略を示す。二宮(2014)から引用したものである。二人は同じ1874年(明治7年)に、大石は佐賀県、岡田は千葉県で生まれた。明治維新まもない時期であった。明治政府は、百年におよぶ鎖国の後に西欧諸国に扉を開き、新しい知識を積極的に受け入れた。教育についても新しい施策が急速に日本全体に浸透していった時代である。
 
 大石と岡田の経歴を比較してみよう。学齢は、3月生まれの大石が8月生まれの岡田より一年早いため、一足先に東京帝国大学(1877年開学)を卒業した。20世紀初期の統計によると、小学校6年間の教育を受けた者のわずか1000分の1がその後に続く最高学府で大学教育を受ける状況だったことからもわかるように、二人とも明治の新風のなかでエリートとして揚々と社会へ船出したことが想像できる。かれらが学んだ物理学は、日本で最初に理学博士号を取得した山川健次郎が率いる、難関と目された分野だった。
 
 
大石和三郎の経歴(左)と、岡田武松の経歴(右)
 
 山川健次郎について少し触れておこう。彼は1854年に会津藩士の子としてうまれ、会津戦争に破れて越後へ敗走した辛い経験がある。明治維新を経た後アメリカへ留学して、大石や岡田が誕生したころに当たる1875年にイェール大学で物理学の学位を取得した。帰国後、1888年に東京帝国大学から理学博士号を授与され、1901年に48才で東京帝国大学総長となった人物である。山川の親戚には戊辰戦争を戦った武士や白虎隊が多数おり、家系図には「自害」で亡くなった者が何人もいる。鹿鳴館時代に活躍した大山捨松は末の妹、また白虎隊で唯一の生き残りとなり明治時代を生き抜いた飯沼貞吉は従兄弟にあたる。
 
 話しを元にもどす。大石も岡田も、東京帝国大学で同じ指導者のもとで勉学に励み、二人とも中央気象台に勤務することになった。お互いによく知る仲であったに違いない。だからこそだと思われる、同じ気象学に身を置いても興味の対象は異なり、また何よりも研究のアプローチは異なっていた。中央気象台に就職した後、大石は統計課長、観測課長となり主に観測畑を歩んだ。一方岡田は、予報課長となり梅雨の理論に代表される理論気象学者としての地位を築いた。職に就くと、大石はドイツとアメリカへの留学経験を活かして1920年に高層気象台の初代台長となる一方、岡田も留学を経験した後に海洋気象台(神戸海洋気象台)の初代台長となった。つまり「空」と「海」に進む道を分かったのである。この時代を代表する二人の気象学者は、自然の流れのなかで役割分担をして日本の気象学の礎を築いたといえるだろう。
 
 このシリーズでは、大石が行った高層気象観測に焦点を当てるが、物事の進捗が一つ違えば岡田が主人公になっていたかも知れない。堀内(1957)によると、次のような逸話がある。
 大石がドイツのリンデンベルグ高層気象台へ留学した少し前に、欧米を視察中であった寺田寅彦が、新しい領域である高層気象観測の重要性について、岡田武松へ次の主旨の書簡を送っている。それによると「どこへ行っても高層気象観測が始まっている。日本ではどうしているかと質問される。高層気象の観測方法は比較的容易と考えられるので日本でもすぐに始められるのではないか。是非、君の力で始めたらどうか。海洋気象観測についても見聞したが、これは特別で大規模な部署がなければ難しい・・・」。
 
 しかし、寺田の情報と勧めにも関わらず、岡田は高層気象観測には携わることはなかった。明治政府は、中央気象台観測課長を経験した大石を高層気象観測の責任者として考えていたためと考えられる。岡田はといえば、大石がドイツへ向かった1911年に、学位論文「梅雨論」を完成させて理学博士号を取得した。大石が未開拓な分野に取り組むことを苦にしない性格であったと考えられる一方、岡田は緻密な議論を積み上げて理論的な裏付けを探求する学者タイプであったようである。(つづく
 
 

大石和三郎の晩年の肖像(Lewis(2003)より)
 
参考・引用資料
高橋浩一郎・内田英治・新田 尚、1987:気象学百年史.東京堂出版,230p.
大石和三郎,1950:長峰回顧録、高層気象台彙報,特別号付録,2-73.
二宮洸三,2014:気象観測史的に見た高層気象台におけるジェット気流の発見.天気,61, 865-870.
堀内剛二,1957:第4代中央気象台長岡田武松事蹟(II).天気,56-61.

 

 
 
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