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| ダンゴムシ―もしかして大地の哲学者? (むしたちの日曜日25) | 2011-12-12 |
| ●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治 | 寒くなると野外のむしたちは姿を消す。だが、それで種が途絶えることはない。当然だが、彼らはどこかに潜んで、寒い冬をやりすごすのだ。 ポカポカ陽気に誘われて、雑木林を訪ねた。ドライブがてらどこかの山にでも出かければいいのだが、わが家のすぐ前には、奇跡的に残った雑木林のグリーン・ベルトがある。そこへ足を踏み入れただけである。   地表に降り積もったコナラやクヌギ、ケヤキなどの落ち葉を踏みしめ、朽ち木を動かす。樹の株元を見る。 ――と、まるで家族のように集まったダンゴムシが姿を現した。その多くはからだを丸め、「わたしたちこそ正真正銘のダンゴムシですよー。ワラジムシではありませんよー」と主張しているかのようである。ワラジムシはいくら努力しても、体をボールのようにすることはできない。ダンゴムシにはそれができるからこそ、「小さなアルマジロ」という意味の学名を授かったのである。 といっても、本家筋のアルマジロは全部が全部、ダンゴムシのように丸くなるわけではない。20種ほどいるうちの2種しか、ボールごっこはできないそうだ。それによく勘違いされるのだが、アルマジロは爬虫類ではなく、われわれ哺乳類の仲間である。   地球温暖化の影響なのか、近年はかなり遅くまで虫の鳴き声が聞こえる。12月に入ってもまだ、カネタタキがチンチンチンと鳴いている。さすがに盛時の勢いはないが、ふだんは忘れている「もののあはれ」という古典のひとことをふと思い出させてくれる。 清少納言が「枕草子」に書き記した「ちちよちちよとはかなげに鳴く」鬼の子とはやはり、このカネタタキであったのか。それとも発音機能を持つ特殊なミノムシであったのか……。   毎年繰り返し頭に浮かぶことではあるが、わが頭脳はほんの一瞬で、現実世界に呼び戻してくれる。目の前にはダンゴムシのファミリーがいる。 おそらくは疑似家族、カゾクモドキだろうが、彼らに心のうちを伝える能力でもあれば、そのうちニンゲンとのコンタクトを試みるかもしれない。 いやいやすでに、ダンゴムシの心を探ろうとしている研究者がいる。彼の話を聞くと、なるほどとうなずける面もある。いや、心はあるのだ、と思えてくる研究内容ではある。   ダンゴムシやワラジムシには、障害物に突き当たると、一定の法則に従って進む習性のあることが分かっている。最初に右に曲がれば次は左、その次には右……という具合だ。専門用語では「交替性転向反応」というようだが、時として、それに従わない個体が出現する。 それどころか、水が苦手なはずのダンゴムシなのに、命とりになりかねない行動をとることもある。水を張った容器のへりを歩かせることにより、それを暗示する結果が得られる。そうなるとダンゴムシはただ丸くなる能力だけでなく、自分の意思をも持つのだと思えてくる。それを心というなら、確かにそうだ。 ダンゴムシに心があるなら、ほかの生きものにあってもおかしくはない。この研究者は海にすむ巨大ワラジムシのようなグソクムシでも実験したいようだが、はたしてどんな結果になるのか、とても興味深い。   ぼくにはグソクムシを見つけることさえできないが、ふと頭をよぎるのがカマキリである。カマキリの雄は交尾の際、雌に食べられてしまう、というアレである。自然観察者のリポートによると、そうしたショッキングな結末になる例は少ないという。ただ、現実に頭を失った状態で交尾し続ける雄を見たことがある経験からすると、そこにはひょっとしたら、心が関与しているのではないかと思えてしまうのだ。 生物の世界では基本的に、雌が主役となる。雄は本来、雌になるはずの存在だったという。 ということから考えると、「オイラ、どうせ、たまたま雄になっていただけなんだからサ、このまま雌に食われるのも運命だよなあ」とあきらめるカマキリがいれば、「冗談じゃないぜ。おれは、こんな死に方をするために雄に生まれたんじゃねえ!」と啖呵をきって逃走する雄がいてもいいはずである。そのどちらを選択するかは、やっぱり心のなせるわざと思えてしまう。   ところで、見かけが地味なせいか、ダンゴムシが自然界で大切な役割を担っていることは意外に認識されていないようだ。心の実験相手をしていないときのダンゴムシは、大地の分解者として、せっせと落ち葉を食べて片づけている。落ち葉なんて、放っておけばそのうち消えてなくなるようにみえるが、掃除人がいないと、いつまでもそのままなのである。   それよりも不思議なのは、あの丸いからだでどうして四角い糞を出すのかということだ。面白い。ついでにいえば、卵を産みそうなのに、子を産む。育児嚢という袋を持ち、そこで育った子どもたちが、時至ればわらわらと出てくる。初めて見た人はだれかれなく話して聞かせたくなる、感動的な場面だ。 ダンゴムシは、脱皮の仕方も変わっている。一気に皮を脱いでしまう生き物が多い中、彼らは最初に後ろ半分、それから数日して前半分を脱ぐ。一度にやわらかいからだになって外敵に襲われたらかなわん、という理由らしいが、そうするとほかの多くのむしたちはどうなんだろう。昆虫以外のカニやエビだって、イッキ脱ぎなのに。   それも含めてまあ、ダンゴムシにはダンゴムシの生き方があるのだろう。さて来年はどういう年になるのか、なんて考えながら落ち葉の下で眠るのだろうか。 凡人はちがう。もしもし、などと指でふれれば、あららと動き出す。だから子どもたちの良い遊び相手になるのだろうな――などとつまらぬことを考えながら、雑木林を後にするのだった。(了)     写真 上から順番に ・丸くなってかたまるダンゴムシ。長い冬の間、いったい何を考えるのだろう ・見た目にはダンゴムシそっくりだが、丸くなることはないワラジムシ ・グソクムシ。このけったいな生きものにも心はあるのか、興味深いところだ ・ダンゴムシのふん。あの丸いむしから、どうしてこんな四角いものが排泄されるのだろう ・脱皮するダンゴムシ。最初に後ろ半分、数日後に前半分を脱ぐことが多い
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長く農業記者をつとめ、いまはプチ生物研究科として活躍する著者が、自らの小さな家庭菜園で次々と伸びてくる雑草対策として、代表的な13の方法を順次検討する、思索と苦悩の日々を綴っている。13の方... |
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