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温暖化が農業に与える影響
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大石和三郎とジェット気流の観測 【10】  2017-03-22

●NPO法人シティ・ウォッチ・スクエア理事長 林 陽生  

 
最後の作戦
 風船の製作が進むあいだに、陸軍は計画実行部隊として気球連隊を編成した。気球連隊の仕事は、放球と放球後の追跡にふさわしい基地の選定、風船に充填する水素ガス製造装置の開発、基地まで資材を運搬する経路の確保などであった。風船が北米大陸以外に飛んでいくことは避けなければならない。そこで、放球基地として福島県勿来(なこそ)と茨城県大津、千葉県上総(かずさ)一ノ宮が選ばれ、追跡基地として青森県淋代(さびしろ)、宮城県仙台、千葉県大原が選ばれた。放球基地のうち、水素ガス発生装置が設備されていたのは上総一ノ宮だけだった。ほかは関東地方にある化学工業会社から鉄道で運んだ。
 
 準備が進み、1944年8月には試験的な放球が行われるにようになった。3日間の追跡記録で、早朝に放球した気球が3日目の夕方にアメリカ本土に達することが明らかになった。高度は刻々変化し、とくに日没になると、気球表面の放射で内部のガス温度が下降して容積が縮小するため、浮力を失って下降を開始した。ここで、高度維持装置が重要な役割を果たした。気圧低下を感知し、バラスト投下で高度を維持した。試行を重ね、2カ月後から翌年の4月上旬にかけて風船爆弾攻撃が実施され、合計9,300発が北米大陸へ向けて放たれた。最もひんぱんだったのは、1945年の1月と2月で、月に2,500発が放球された。
 こうして風船爆弾作戦は、第2次世界大戦の最後となる冬に、大規模かつ緻密に錬られて実行された。
 私が最初に「風船爆弾」の名を耳にしたときは、とにかく乏しい資源のもとで、急ごしらえかつ小規模の計画だったのではないかと想像した。多くても一日に2~3個を放球する程度かと。しかしその実態は、想像とは大きくかけ離れたものだった。
 
 風船を運ぶ強風の経路の推定だけでなく、風船の素材となる和紙の品質管理(※)、接着剤としてのコンニャク糊や気球表面のコーティング技術の開発、品質維持に欠かせないガス漏れ検知システムの構築、放球を周囲にさとられないための情報統制など、どれを取っても高度な計画性と厳格な管理のもとで、この作戦は実行された。(つづく)
 
当初海軍が製作した風船は材質にゴムを使ったが、コストと重量に不利な部分が多く、後に陸軍が主導して考案した和紙を材質にしたものが大量生産され、使用された
 

 
 
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