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大石和三郎とジェット気流の観測 【12】   2017-06-12

●NPO法人シティ・ウォッチ・スクエア理事長 林 陽生  

 
エピローグ-大石は何を発見したか?
 今から70年ほど前の1947年、シカゴ大学の気象学部に所属する研究者達が、中緯度の対流圏上部を蛇行して流れる強い気流に関する論文を発表した(Staff Members, 1947)。この論文は、同時代に行われたRossby(1947)Riehl(1948)の研究とともに、大気大循環を形成する主要な要素として、ジェット気流に対する理解を深める大きな推進力になった。しかし、ジェット気流の詳細な構造が明らかになるまでには、その後10年に及ぶ研究が必要であった。
 
 ジェット気流の存在に目を向けさせたのは、太平洋でもヨーロッパでも高度9000mの上空を飛行する爆撃機が遭遇した経験である。上述のスタッフメンバーの論文には、圏界面(対流圏と成層圏の境界面)の付近で、前線を伴った傾圧帯が強風域とともに示されている。強風の軸は太平洋の上空を東側に向い、さらに西部大西洋にまで帯状に延びている。これがジェット気流の一部をとらえた最初であった。この、地球を周回するように流れる気流の力学的な説明は、当時はまだ十分に行われなかった。
 
 大石和三郎は、1920年(大正9年)に天気予報技術の発展に強い使命感を抱き、館野高層気象台を創設して、日本で初めて高層気象観測を実施した。その結果、それまで未知だった圏界面の少し下層に、非常に強い西風を観測した。ジェット気流が「発見」される20年も前のことである。しかし彼は、科学史のなかでジェット気流の発見者として認められることはなかった。なぜなのか? いま、見えてくるのは、彼が生きた科学技術の黎明期と戦争へ向かう時代的背景が織りなす業である。
 
 大石が高層気象の観測・研究を行ったのは、富国強兵が現実となった時代であった。彼がエスペラントで書いた、強い西風に関する全ての論文は、国際的学術界の目から遠ざけられることとなった。改めて最後に付け加えなければならない点は、大石が比類のないほど平和を希求する科学者で、その証拠としてエスペランティストであったことである。(おわり)
 
関連論文
・Riehl, H., 1948: Jet stream in upper troposphere and cyclone formation. Trans. Amer. Geophys. Union, 29, 175-186.
・Rossby, C.G., 1947: On the distribution of angular velocity in gaseous envelopes under the influence of large-scale horizontal mixing processes. Bull. Amer. Meteor. Soc., 28, 53-68.
・Staff Members, 1947: On the circulation of the atmposphere in middle latitudes. Bull. Amer. Meteorl. Soc., 28, 255-280.


 
 
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