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ヘビ――出そうで出ない蚊(むしたちの日曜日111) | 2025-01-17 |
| ●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治 | 年の初めの話題は、干支がらみのヘビがいいのだろう。 それならとめでたい話ができるといいのだが、飼われている白ヘビを見た思い出を語るしかなくなっていることに気づいた。ヘビを目にする機会がそれほど減っている。   新興住宅地のわが家にだって、住み始めた二十数年前には、大きなアオダイショウやヒバカリが何回も現れた。しかし、目の前の雑木林が消えてからは見ることがない。ヒバカリなんぞ、「かまれたら、その日ばかりの命」というのが名前の由来らしいが、いまや、見られるのはその日ばかりの珍しい生き物になっている。アオダイショウの最後の訪問を受けてから、すでに十数年が過ぎた。   金運が上がるということで喜ばれたヘビの抜け殻も、見る機会が減った。赤い実がなる木に巻きつくようにしてぶら下がる抜け殻を見たときにはうれしくなったものだが、それに手をつけてはいけないような気がして写真だけにとどめた。 漢方ではヘビの抜け殻を、「蛇蛻(だせい)」「蛇退皮(じゃたいひ)」と呼ぶ。日本ではアオダイショウやシマヘビ、ヤマカガシの抜け殻を用いるそうだ。悪を退け、風を去らせ、虫を殺すと伝えられ、鎮静・解毒を目的に民間で利用されてきた。とはいうものの、身近に体験者がいないので効果のほどはわからない。   「蛻」は一文字で「もぬけ」と読み、虫が古い殻を脱ぎ捨てて生まれ変わるさまを表す。「もぬけの殻」という言い方は現代にも通用する、虫好きに愛される言葉のひとつだろう。 中国最古の薬学書とされる『神農本草経』の「下品」には「龍子衣」「龍子単衣」「蛇符」「弓皮」の別名も記され、腫れ物や皮膚病、子どものひきつけなどに用いたようだ。また、疥癬(かいせん)に使う際には、やはりヘビの文字が入る「蛇床子(じゃしょうし)」なども混ぜた。   すると今度は、それがどんなものなのかが気になる。 ざっと調べたところ、セリ科植物のオカゼリを指すようだが、日本には自生しない。それでヤブジラミやオヤブジラミの種子を「蛇床子」とするようになった。しかしそれはマズいだろうとなったのか、いつごろからか、「和」の字を加えて「和蛇床子」としているらしい。 江戸時代にはどう見てもまったく別物のヒルムシロまで「蛇床子」として売られたが、外見よりも効能に着目したのだろうといわれている。オカゼリの種子には、ヤブジラミやオヤブジラミの種子のように「ひっつき虫」になるとげ状の毛がない。   ヘビそのものがあやしい雰囲気を持つからか、「蛇頂石」なる摩訶不思議な人造石が流通した時代もある。おしろいを食べて育つという「ケサランパサラン」が話題になったこともあるように、日本人はなにやらわけのわからないものが好きだ。その「蛇頂石」もヘビつながりで、気になってしかたがない。 写真を見る限り、それはどうみても石だ。何に似ているといわれたら、「石」と答えるしかない。それなのに、いかにも霊験あらたかな雰囲気が漂う。 「石」と称するものの、どうやら、動物の骨を焼いてつくるらしい。流通していたものがどうやってつくられたのか明らかでないが、世界的にみると牛の大腿骨などを原料にしているらしい。実際に手にしたことがある人の談によると、石というよりも墨のようなものだったそうだ。動物の骨だとしたら、その直感は正しいように思う。   見た目だけでなく、用法がまたスゴい。虫さされの妙薬とされるだけでなく、マムシやムカデ、ハチなどの被害にもよく効くと宣伝された。「あらゆる毒虫やけもの類にさされたり、かまれたりしたときに傷口に当てると、毒気が吸いとられる」といったことが説明書に書かれていた。 日本でつくられていた「蛇頂石」は、漢方でいう「雄黄」や「雌黄」だったという研究報告もある。どちらも硫化ヒ素の働きを利用したものだから、硫黄臭の嫌いなヘビが避けたがるのもうなずけるという内容だった。有毒ながら解毒・殺虫作用が期待できるとあって、たぐいまれな商品になったようである。
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| ヘビの話のはずが、だんだんあやしくなってきた。ヘビだって戸惑いそうだから、ヘビにちなむ虫を取り上げるとしよう。 ヘビと虫は、相性が良い。「虫」という字はヘビをかたどったものだし、「長虫」は昔からヘビの異称として知られる。だとしたらヘビつながりで無難なのは、ジャノメチョウだろうか。蛇の目傘を見ることはめったにないが、蛇の目模様を持つチョウといえば、だれにでもわかる。   しかし、新年に出すチョウとしては地味すぎる。 そう思ったとき頭に浮かんだのが、「カマキリにセミのはねが生えたような虫」と称される、あの虫だ。虫好きならヘビトンボだとピンとくるだろうし、そうでない人にとっては意表をつく虫となる。 ヘビトンボは、水のきれいな川を好む。そのため近年は、水質を知る指標生物にもなっている。清らかなイメージが伝わるなら、新年に登場する虫としても許されよう。しかも名前にはしっかりと、「ヘビ」が付く。これ以上、巳年にふさわしい虫はいまい。   ヘビトンボは、カマキリモドキやツノトンボにも似た異形の虫だ。しかし、「アリジゴク」と同じで、はねのある成虫よりは「川ムカデ」のあだ名をもらった幼虫の方がずっとインパクトがある。 幼虫のくちは、見るからにおっかない。大あごではなく、「牙」と呼ぶほうがわかりやすい。そしてそれに続くからだには、ムカデを思わせるあしが生えている。「孫太郎虫」という俗称もユニークで、古くから使われている。   それにしてもヘビトンボの幼虫がなぜ、「孫太郎虫」と呼ばれるようになったのか。 名前の妙ということでは、ゲンゴウロウブナもそうだ。源五郎という名の漁師が城主に献上したからだとか、花嫁ならぬ化身のフナ嫁が湖に姿を消したので追いかけて飛び込んだら、漁師の源五郎もフナになってしまった――という由来ばなしがある。   「孫太郎虫」について多くの支持を得るのは、江戸時代の戯作者・山東京伝の黄表紙『敵討孫太郎虫』に描かれたストーリーだ。奥州の斎川(現在の宮城県白石市)に身を寄せていた桜戸という女性には、夫と父親を殺された敵がいた。いつかそのあだを討とうと心に決めていたのだが、頼りにしたいひとり息子の孫太郎が悪性の疳(かん)により、明日をも知れぬ命となった。 そこで鎮守社の田村神社で願掛けをすると、「川の小石の間にムカデのような虫がいる。それを息子の薬にせよ」という地蔵菩薩(ぼさつ)のありがたいお告げがあった。それに従って孫太郎に与えると、驚くほど元気になって成長し、父と祖父の恨みを見事に晴らしたという筋書きだ。黄表紙のPR効果は絶大で、斎川産こそ孫太郎虫の本家本元であるという一大ブランドを確立した。 その評判は全国に広まり、明治初期には年間15万匹、ピークとなった太平洋戦争後には数十万匹が「疳の虫」の特効薬として服用されたと伝わる。孫太郎せんべいまで売られた時期があるから、商売人は孫太郎虫さまさまだった。   昭和30年代にはまだ、桐の箱におさまる孫太郎虫を見ることがあった。だが実際に口にした記憶はないので、どんな味だったのかは、わからない。それでも「斎川」の「孫太郎虫」という名前と桐の箱は、半世紀を経ても忘れようがない。 売れに売れた時代には地元・斎川だけでまかなうことかできず、越境して採集した孫太郎虫も行商された。しかしそのやり口は、現代人からみるとまるで詐欺だった。 なんとしても「斎川」のブランドで売りたいが、うそはつけない。だったら、斎川の水を浴びた孫太郎虫ならよかろうと考えたのか、捕獲後に斎川の水をかけ、斎川ブランドの孫太郎虫に仕立てたのだ。 ヘビトンボの幼虫は、同種であるかぎり、どこで捕っても大差ない。外見で産地を見抜ける人がいたとも思えない。「斎川の水をかけただけだから、偽ブランドだ!」と言っても水かけ論になりそうだから、買う方も何も言わない。いまとなっては、なんともほほえましい逸話のひとつとなっている。   それにしてもよくわからないのが、話のツボでもある「疳の虫」だ。昭和のある時期までは、「疳の虫」がどうのこうのといった話をたびたび、耳にした。そのころは、夜泣きとかひきつけのことを言っていたように思う。 薬学者によると「疳」はもともと漢方の病名で、五臓にわいた虫が引き起こす病気らしい。消化器障害によって体はやせるのに腹だけが膨れ、異物を食べたり、神経過敏になったりする。その結果として夜泣きする子もいたので、孫太郎虫をタンパク源としたのはあながち間違っていない。 だがいまは21世紀、令和の時代だ。冷たくて清い水を好むヘビトンボの幼虫は、水質汚染だけでなく、温暖化にも悩んでいるかもしれない。 いまも孫太郎虫を扱う店はあるが、1匹1000円を超す高価な品だとか。薬ならほかにもたくさんあるから、欲しがる人はどれほどなのか。 串刺しにされて食べられる孫太郎虫は、うんと減った。だがそれよりも、串よりもずっと怖い環境の変化におののき、涙しているかもしれない。   土用の丑の日に食べるウナギ人気の高まりは、平賀源内のつくったキャッチコピーが受けたからだといわれる。 してみると、いつの時代も変わらないのは宣伝力だ。現代人はSNSに振り回されている感がないわけでもないが、「孫太郎虫」の名前が生まれたことで、虫好きが喜んだことはたしかだろう。 「蛇が出そうで蚊も出ぬ」ということわざがある。騒いだり慌てたりしても、しかたがない。 ヘビにならって、だらだらっとマイペースでいくとしますか。
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| 写真 上から順番に ・わが家にやってきたアオダイショウ。これを見てから、すでに十数年が経っている ・赤い実とヘビの抜け殻なんてすばらしい組み合わせだと思うが、このあと、これほどの抜け殻を見たことはない ・赤みがかったオヤブジラミの実。日本ではこの中にあるタネを「和蛇床子」と呼ぶようだ ・いくら干支がらみでも、野外では出会いたくないマムシ。だけど毒性はヤマカガシに負けるんだってね ・ヘビつながりの虫といえば、「蛇の目」模様のジャノメチョウだろう。だが、このチョウを見てヘビを思う人はどれほどいるのだろうね ・オオキバヘビトンボの標本。成虫の大あごはまさに「牙」だが、幼虫のおおあごはそれほどでもない ・孫太郎虫の碑。「奥州斎川」の文字が本家であることを示すようだ ・「孫太郎虫」の名前で知られるヘビトンボの幼虫。なんだかヤゴに追いかけられているように見える  
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コラム:ヘビ――出そうで出ない蚊(むしたちの日曜日111) |
年の初めの話題は、干支がらみのヘビがいいのだろう。
それならとめでたい話ができるといいのだが、飼われている白ヘビを見た思い出を語るしかなくなっていることに気づいた。ヘビを目にする機会がそれほど減っている。
新興住宅地のわが家に... |
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