|
|
| ヘビ―話せば長~いエピソード (むしたちの日曜日38) | 2013-01-21 |
| ●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治 | ヘビ。 ――長すぎる。 ルナールはその著、『博物誌』にこう書いた。まさに言い得て妙。ぼくの好きな表現のひとつである。 手もなく足もなく、やたらと長い。それでいて、いざ前進となると、するすると滑るがごとく体を前にもっていく。神わざとしか思えない動きを見せてくれるのだから、ヘビに出会ったらネズミの1匹も見物料として差し出さねばならぬ。   なんて思ったりするのだが、現実はなかなか厳しい。たいていは大騒ぎし、石をぶつけ、棒でつつき、ほうきを持ち出して、ここでないどこかへ立ち去れとばかりに思いつく呪いのことばを吐きつける。自分がもしヘビだったら無条件に泣きたくなる心境だが、嗚咽をあげる器官がないためヘビは声を出せない。 しかし、人間はつくづく身勝手な生き物だ。それほど嫌うなら完全に無視すればいいものを、「長虫」と呼んでむしの仲間に加え、あろうことか、身近なネコを差し置いて干支のひとつに加えた。そしてたたえ、敬い、金運をわが掌中にもたらしたまえと願をかけるのだから、言葉を失う。   少し前まで、ひとはケッタイなものを普通に、なんでもないところにしまいこんだ。着物がふえるからといってタマムシの死がいをたんすに押し込め、ヘビの抜け殻を見つければ、お札や硬貨を追い出してでも財布に放り込み、金がするりと入り込むのを待った。ヘビは弁財天の使者と信じればこその所業である。 よくよく考えれば、ヘビの抜け殻なんて窮屈になった体を外に出したあとのカス、人間でいえば垢みたいなものだ。しかし、そんなものでもありがたがる風潮があった時代はまだ救われよう。現代人が喜ぶのは、せいぜい酒カスぐらいである。   巳年にちなんでヘビを取り上げてはみたものの、実をいうとヘビは苦手だ。それなのに最近は、やたらと目にする。自宅の前にちょっとした雑木林があるのだが、急速に進む宅地造成のせいなのか、すみかを追われたヘビが引っ越しの途中でわが家に立ち寄るように思えてならない。 2メートルはありそうなアオダイショウがメダカの水槽のまわりをさすらい、ヒバカリが玄関近くに転がる。畑に近づけば、ヤマカガシが畝を障害物に見立てたレースを繰り広げている。   ぼくはそれらをただながめるだけだが、ヘビやトカゲなどの爬虫類をこよなく愛するひとたちにとっては、かわいいペットが行き場を失って嘆いているようにみえるらしい。 「あら、かわいそうに。てか、カワイー!」 なんて叫び、ヒバカリを懐に入れようとする。なるほど可憐な顔だちではある。すーっと引かれたあごの白いラインには心が騒ぐ。 それにしてもかつては毒ヘビとして恐れられたヘビだ。運悪く噛みつかれたら、その日ばかりの命だというので「ヒバカリ」の名前を戴いたというエピソードは有名である。   その後、ヒバカリは無毒のヘビであることが判明した。それならというわけでもあるまいが、無毒とされていたヤマカガシが毒ヘビの仲間入りをした。ついでにいえば、「カガシ」というのはヘビの古名だ。したがってヤマカガシこそヘビの中のヘビだと思うのだが、だからといってだれも尊敬することはない。黄色とオレンジ、黒という意匠はイケてるのに、グッドデザイン賞をもらってもいない。 ところが色が抜けると、とたんに価値が上がるから気が抜けない。山口県岩国市の白ヘビは国の天然記念物に指定されている。「色の白いは七難隠す」というのは人間世界のことだが、アルビノ個体はどんな生き物でも魔力を感じさせる。 とはいえ、白いゴキブリに手を出すのはやめた方がいい。せっかくつかまえても、時間が経つと次第に色が浮き出てきて、例の油ぎらぎらルックに身を包む。同様に、脱皮直後のスズムシもまた純白である。   沖縄は那覇の街で、棒状だったり、とぐろみたいにぐるぐる巻きになったりしているウミヘビの薫製を目にすることがある。西表島ではいまも生のウミヘビを調理して食べるそうだが、薫製にするのは石垣島の老師ただひとりである。 彼は夏の暑いさなか、西表島から仕入れたエラブウミヘビを大鍋でゆでて、薫製にする。そして完成品のほとんどを那覇に送り、地元住民や珍味を求める観光客の腹に忍び込ませる。「イラブー汁あります」などという看板を見かけたら、エラブウミヘビのなれの果てを調理したものだと知るべしだ。   黒っぽいウミヘビが、昆布や豚足、ダイコン、ニンジンなどと一緒に丼の中で鎮座する。薫製品なので、食するまでに、とにかく手間がかかる。料理店で聞いたところ、戻すだけで数日、味付けをしてテーブルに出すまでにはさらに5、6時間、鍋で煮なければならないという。 だから、一般家庭では調理しなくなった。伝統料理の灯が消えそうなのはさびしい限りだ。その味は意外にもあっさりしていて、和風だしのきいた逸品である。   少年時代の話だが、わが家の玄関に三日三晩やってきたヘビがいる。それを気にした両親は年寄りの助言に従い、線香を焚いて寄りつかぬようにした。するとその次の日には、姿を消した。そんな体験があるばかりに、ヘビには魔力を感じてしまう。 学生時代には、奈良県と三重県にまたがる大台ヶ原へツチノコを探しに出かけた。スルメや髪の毛のにおいが好きだと聞いていたが、実際に目の前に現れたのは巨大なヒキガエルだった。もしかしたらそれはツチノコの変身だったのかもしれないと思ったりもするのだが、ツチノコなどという幻のヘビには触れず気にせず、そっとしておくのがいいにちがいない。   ヘビの年は、この先もずっとあってほしい。温暖化で冬眠を拒否するヘビがふえると、ヘビ嫌いは身の置き場を失ってしまうのだが……。 西洋ではギリシャ神話に端を発する「アスクレピウスの杖」が医療・医学の象徴として、シンボル化されている。世界保健機関(WHO)、世界医師会などのほか、日本医師会でもロゴマークに使われている。12年に1度ぐらいは、ヘビの身になって世界をながめてもバチは当たらぬということだろうなあ。(了)     写真 上から順番に ・「カガシ」の名を持つヤマカガシこそ、ヘビの中のヘビかもしれない ・ヘビの抜け殻。昔はこれを財布に入れて、お金を呼び込もうとしたものだ ・アオダイショウのアルビノ。白くなると一段と〝ヘビ格〟が上がるような気がする ・那覇市内で見つけたエラブウミヘビの薫製。これをもどして煮て、「イラブー汁」にする ・わが家にきたアオダイショウ。なかなかの面構えをしている
|
|
|
|
|
 |
|
|
 |
 |
| |
お知らせ:書籍紹介「雑草を攻略するための13の方法 悩み多きプチ菜園家の日々」 |
人類と雑草の戦いの果てに見るものは何か!?
長く農業記者をつとめ、いまはプチ生物研究科として活躍する著者が、自らの小さな家庭菜園で次々と伸びてくる雑草対策として、代表的な13の方法を順次検討する、思索と苦悩の日々を綴っている。13の方... |
 |
|
 |
|