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イカ――カラスとの深い因縁(むしたちの日曜日90)   2021-07-16

●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治  

 
 実家から突然、荷物が届いた。
 段ボール箱を開けてみると、出てきたのは古い写真の束だった。
 半世紀以上も前となる小学校時代の写真もあったから、一部はセピア色となっている。
 セピアというのはたしか、イカの墨だったはずだ。しかし脳内も写真と同じくらい劣化しているはずだから、念のため調べてみた。
 ほっと一息。コウイカを表す古いギリシャ語が語源だそうで、イカの墨そのものを指したり、イカの墨を原料にした顔料のことを「セピア」というようである。
 イカ墨のインクと聞くだけで興味がわくが、あの「下書きをしない天才」とも称されたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがそのインクで書いた楽譜が残っているとか、レオナルド・ダ・ビンチも好んで使ったなんていうエピソードを知れば、いつか使ってみたいと思えてくる。
 このごろまた、万年筆が注目されている。イカ墨インクとセットにすれば、「ほほう。なかなか良いご趣味をお持ちですなあ」なんておだてられるかもしれない。
 だがしかし、イカ墨インクを万年筆で使うと詰まりやすいという。
 だったらいっそのこと、手づくりのペン軸づくりから始めるのがいいかも。それでもってペン先をちょんちょんとイカ墨インクにつけて、季節の便りをしたためる。うむ。なかなか、いかした趣向だ。でもその前に、かねて予定に入れているアレもコレも仕上げてからになるから、実現はちょっとばかり先になる。
 
 そんなことを考えていると、タイミングよく、水産庁の報告書が公開された。
 それは、うれしい内容ではなかった。サンマ、サケ、スルメイカの3魚種の漁獲量が2014年ごろから激減していて、その原因のひとつとなる海水温や海流の変化をもたらすのが地球温暖化だという。日本海の産卵場の水温が上がる一方で、卵・幼生の発生や生き残りが悪化しているのだそうだ。
 とっさに口をついたのは、だれもが言いそうなイカン、イカンだった。イカ好きのひとりとしては、困る。生きているイカも好きだが、食べるのはもっと好きだ。そのイカに危機が迫っている……。
 
 スルメイカはタコのようなたこつぼ住まいではなく、ボヘミアン的な生き方をする。南の海で生まれたイカ子たちは(といっても全部がおんなの子というわけではなく)海流に乗って北へと進む。そして北の海でうまいものをたんと食べて大きくなったイカ子は ふたたび南をめざす。それから卵を産んで、子孫を残すのだ。
 それを1年間にわたって続けるイカの暮らしぶりも面白いのだが、だからといって、旅は道連れ、ご一緒しましょう、というわけにもいかぬ。
 
 その代わりといえるのか、海岸ではイカの遺産に出会うのをたのしみにしている。
 コウイカなどが持つ貝殻の痕跡器官、俗にいう「イカの甲」である。浜辺に打ち上げられる舟形の小さなビート板のような、あるいは地味なサーフボードっぽい紡錘形のウレタン様の物体である。「フネ」と簡単に呼ばれることもある。
 中学生のころ、セキセイインコを何羽も飼っていた。その当時、塩土とともに与えたのがイカの甲だった。
 カルシウムだかミネラルだかを摂取するのによさそうではあるが、塩土はともかく、野生のセキセイインコが海のものであるイカの甲と出会う機会はあるのか? そんな疑問をちらっと抱くこともあったが、純真な中学生は大人の言うまま、素直に与えた。
 インコを飼う人たちは、「イカの甲」などと言わない。「カトルボーン」だ。
 カトルはイカ、ボーンといえば骨であろう。カルトボーンと言うオジサンもいるし、インターネット上にもそんなことばが見つかるが、イカの大切にしてきたものを搾取するということでは否定できない。
 冗談はともかく、「カトルボーン」はつまり、イカの骨ということになる。漢字で「烏賊骨(うぞっこつ)」と書けば、漢方の世界の話となってくる。
 しかし、あれは骨なのか?
 骨だったら肩とか腰とかの区別もあって良さそうなものだが、便宜上そう呼ぶだけだ。
 炭酸カルシウムが主成分で気泡を含む構造になっていることから、浮力を得るのに役立つ。あれを見てビート板とかサーフボードを連想するのは、あながち間違いだともいえないのである。
 ついでにいえば、烏賊骨はなぜカラスに結びつくのかというと、こんな説がある。
 死んだようになったイカが、水面にプカプカ浮いていた。
 と、それを見つけた1羽のカラスが寄ってきて、「いかにもうまそうなイカではないか」とかなんとか思って、手ならぬあしを出そうとした。
 するとその瞬間。待ってましたとばかりに、イカが腕を伸ばしてカラスを逆にひっ捕らえた。
 そんなことから、カラスにとってイカは、いかにも賊のようではないかと考えた中国の人が「烏賊(いか)」と表記するようになった。
 とまあ、海賊もびっくりのいかにもありそうな話として中国の古書に記され、いまに伝わる。
 
 ちょっとだけ注目したいのは、イカの腕だ。
 タコのあしは8本、イカは10本ということになっているが、実際にはイカのあしは8本で、長い2本は触腕だ。
 それにイカの心臓は、三つある。タコと同じで、ひとつはヒトと同じように全身に血液を送るものであり、あとのふたつはえらに血液を急送するもので、「えら心臓」と呼ばれている。それぞれの心臓の役割は異なるから、単純にイカっていかすなあ、なんて思わぬがいい。
 
 それにしてもイカへの興味は尽きない。生きていれば「匹」と数え、店に並べば「杯」になる。そしてスルメになれば、「枚」に化けるのだ。
 なぜ「杯」なのかは気になるところだが、その字の成り立ちからすれば納得できよう。「杯」は「木」と「不」からできていて、花のがくの形をした「不」にはふくらむという意味がある。
 それでイカ徳利になったりイカ飯になるようなふくらみを持つ器のようなものを、そう表現するようになったというのだ。
 ことほどさように、イカには教えられることが多い。
 
 しかし気になるのはやはり、カラストンビではないだろうか。
 イカのくちに「カラストンビ」と呼ばれるものがあることは、よく知られる。
 調理する際にも出てくるし、そのまわりの丸い口球ごと取り出したものが珍味として売られている。カラストンビを縮めたのか、「トンビ」とだけ言うことも多いようだ。
 
 冷蔵庫を見ると、いかにもあつらえたように、イカがあった。見れば調理前のようである。
 となれば、ということでその部分を取り出すことにした。
 ちょっとした解剖キブンである。カラストンビは黒っぽいので、だれにでもよくわかる。
 だが、自分をにらむような目がこわいとかで、調理できないオカーサンもふえているという。なるほど、こちらをにらんでいる。
 ねらうのは、あしの根もとあたり。そこにある黒いものがカラストンビだ。
 ところがまちがって目玉を取り出した人もいるから、もしかしたら、その存在自体があまり知られていないのかもしれないと、知ったかぶりのシンネンが揺らぐ。
 イカとカラスの関係以上に面白いと思うのは、カラストンビは単体ではなく、いってみれば「カラス&トンビ」であることだ。
 珍味として出くわしたときにはたいてい、ひとよりひとつでも多く口に入れようと懸命にほおばる。付け足しのように、「これはうまい!」なんて言いながら。
 しかし、今回はいつも無視してきたカラストンビの写真を撮るのがねらいだから、口に入れる前にシャッターを押さねばならない。
 そうやって取り出し撮ってみると、なるほど、カラスとトンビのくちばしに似ている。いつも感心するのだが、最初にそれに気づいて命名した人には頭が下がる。
 カラスのくちばしに見立てた方が上に位置し、それを受ける形でトンビのくちばしがくっついている。
 この両者が合わさることで「イカのくち」の完成だ。イカは、捕えたえものをこのくちでかみ切り、「歯舌」というおろし金のようなものですりつぶして飲み込む。
 歯舌ときてとっさに思うのは、カタツムリやナメクジだ。大くくりにすればどちらもイカやタコと同じ軟体動物なのだから、共通性はあっていい。ナメクジにもカタツムリのような殻の名残があるし、イカにはイカの甲として殻の痕跡があるのだから、なるほどとうなずくのがいい。
 
 殻といえば、水族館で展示されているオウムガイを見ていて、イカの仲間であるコブシメやコウイカに似ていると思ったことがある。
 オウムガイは「生きた化石」と呼ばれ、大きな貝殻を背負っている。その殻からはみだす体を見ていたら、これはイカと言ってもいいのではないかと感じたものである。
 しかも、アンモナイトのくちにもカラストンビがあったらしいのだ。そうとわかればなおさら、オウムガイが好きになる。
 
 ところで、養蚕農家は蚕のことを「お蚕さま」と呼ぶ。
 では、時代劇で武士が「いかさま、さようでござる」というのはイカのことかというと、そうではない。
 漢字で記せばわかりやすいが、「如何様」ということで、相手の言ったことに対して、「いかにもその通りですね」といった同意を示すものだろう。あるいは疑問を呈するかたちで、「どのような?」「どれほど」といった意味もある。
 では、インチキ、ゴマカシに用いる「いかさま」はどうかというと、同じように「如何様」と書く。「いかようにも見えよう」という、あやしいと疑う気持ちを表すことばだ。
 ここでも「いかさま、さように」と受ければいいのだが、それではイカの立場がない。
 それで、こんな語源説もあるということにふれぬわけにはいかぬ。
 イカ墨インクの話は最初に紹介したが、その墨で証文を書くと、時間の経過とともに薄れていく。そしてしまいには、見えなくなる。それでは何の証拠にもならぬ。
 とまあ、そんな現象から生まれたのが「イカサマ」だとする説もある。生き物好き、イカ好きとしてはぜひとも、そちらの説を広めたい。
 だけどホントのところ、どうなんでしょうね。
 
写真 上から順番に
・古くて変色した写真を見たら、いかにもだけど、イカを思った
・イカって、イカす生き物だよね。どこがって……そりゃあ、おいしいもの
・飼い鳥に与えるモノは「カトルボーン」と呼ぶ。セキセイインコを飼っていたときには、魚屋さんからよくもらった
・漢字で「烏賊」と書く理由についての言い伝えがあるが、カラスって海にいたっけ? いやあ、それがけっこう群れているんだよね
・タコのあしは8本。イカは10本となっているけど、ホントはイカも8本?
・イカさん、イカさん。にらまないで。欲しいのは「カラストンビ」だけ。目玉はとらないからさあ
・左がカラス、右が「トンビ」ことトビのくちばしを思わせる。つまり、2つでやっと、「カラストンビ」となるわけだ
・オウムガイもイカの親せき。殻がなければ、確かにイカに似ているよなあ

 
 
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