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ワレカラ――スリムでとぼけた変わり者(むしたちの日曜日95)  2022-05-17

●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治  

 
 奇妙、けったい、奇天烈、魔物、妖怪、摩訶不思議。海には想像もつかないほど多様な生物がすんでいる。
 それだけのものを抱え込んでは大変だと思うのだが、広いからなんともない。いや、そんなに抱えたから広くなったのかわからないが、とにかく海は広いし大きいのである。
 そのふところの深さに甘えて、人間はその環境をないがしろにしてきた。地球温暖化などというなんだかひとごとのような言い方をするが、結局は海をいじめている。だから海はもだえ、苦しみ、怒り狂って、それでも多くを包んだままじっと耐え、しずかに涙を流しているのだろう。
 
 
久しぶりに海に出かけ、海水につけた指をなめてみたら、前よりもしょっぱくなっていた。海の涙で塩分が濃くなっているようだ。
 それにしてもと感心するのはやっぱり、海の偉大さである。
 わが街のほど近くに人工海浜がある。
 人工なんていうから、さぞかしさびしい、砂漠のような海を想像するかもしれないが、これがどうして、なかなかのふところなのだ。出かけるたびに、それまで見たこともなかった生き物が顔を見せてくれる。
 
 入り口である砂浜にはハマボウフウやコウボウムギ、ハマユウが生え、砂をほじくるとスナゴミムシダマシが出てくる。潮だまりを探せば、タナイスというロブスターを小さくしたような甲殻類やすっかりおなじみになったコツブムシの集団に出くわす。
 
 
 ともあれ、この日はついていた。流れ着いたアマモの切れ端や海藻に久しぶりに出会えたのだ。
 アマモは「リュウグウノオトヒメノモトユイノユリハズシ」という21文字の長い別名でも知られる海草の一種だ。
 漢字で書けば「竜宮の乙姫の元結の切り外し」。「元結」というのは髪の毛を結い束ねるときに使うひものことだから、乙姫さまの元結の余った部分をちょきんと切って外したものが、いつの間にか浜に流れ着いたという解釈をすればいいのだろうか。
 学名は「海のベルト」を意味し、英語では「ウナギ草」。それに比べると、竜宮の乙姫の元結に結びつけた発想・命名は秀逸である。
 
アマモは、長い名前にたがわず1mほどには育つ海草だ。だが、わが地元の浜に上がるのはせいぜい20cm。暖かい海に親しんできた人には見るに値しない切れ端なのだろうが、それだけでも見られることはうれしい。
 アマモは成長してアマモ場・藻場をつくり、「海のゆりかご」となる。魚やその他の生き物が卵を産み、隠れる場所となり、大はジュゴン、小は動物プランクトンやヨコエビ、タツノオトシゴなどが利用する。
 そこに、ワレカラもすむという。
 しかも、その人工海浜に流れ着くアマモなどにも付いていることがあるという情報を、かなり前に得ていた。
 ――地元の海にワレカラがいる。
 そう思うだけで心が弾む。
 
 ワレカラってなんだと思う人には、五千円札を用意してもらおう。その紙幣のデザインに採用された樋口一葉の作品に、『われから』がある。
 そう。まずはそれだけの話だから、ちょいと借りて見るだけでいい。ワレカラを手にした一葉さんでも描かれていれば、ワレカラのファンがふえるように思うのだが、それは望めそうにない。
 もっと古いところでは、『古今和歌集』にもワレカラが登場する。学校で習った『枕草子』にも鈴虫・松虫と並んで出てきた。江戸時代までにワレカラをよんだ和歌は100首にもなるそうだから、意外とポピュラーな素材だ。
 
 地元でも見られるという朗報を得て、友人にさっそく話した。
 「ワレカラがこのあたりでも見られるそうだ」
 後ろばねが美しい「カトカラ」と呼ぶ蛾の一群を好む人だから、ワレカラももしやと思ったからである。
 ところが――。
 「ワレカラ? ああ、カワラケのことか。ビーチコーミングを趣味にする人が土器を見つけたといってSNSで流している、あれのことだろ?」
 残念なことに、ワレカラの認知度は思ったよりも低いようである。
 現代とは比べようもないほど情報の網が粗かったむかしの人がなぜ、文学の世界に持ち込めたのか。
 理由は簡単だ。ひとつには、ふだんの生活の場で目にすることが多かった。
 いまでも、スーパーで買ってきた生ワカメに付着したワレカラが見つかることがある。ネット情報によると、体長は1~1.5cmのものが多いようだ。潔癖症で知られる日本人が口にするものなのに、消費者の家にまでたどり着くということ、それをSNSで拡散する人がいるということを考えると、現代でもワレカラは意外に身近な存在かもしれない。
 
 
と考えると、海がもっときれいだった時代、浜に上がったものがもっとストレートに膳に上った時代にはワレカラは珍しくもなかったのだろう。だから直接目にすることはなかったかもしれない都ぐらしをする歌よみ人も、言葉にのせて親しんだのだろう。
 「われから食わぬ上人なし」ということわざは、現代にも生きている。きびしい修行をつんだ上人でさえ、知らず知らず、ワレカラを口にするような殺生をしてしまうというたとえだ。それを避けるとしたら、ルーペ片手に食事をせにゃならぬ。
 でもまあ、ワレカラ=われからという発想は、おやじギャクみたいなものだ。短歌や俳句などでは、自分からという意味に引き寄せて文字にしてきた。
 しからば海にすむワレカラの正体は何かといえば、甲殻類の一種だ。世界には500種を超すワレカラがいるようで、体長は5~60mmとかなり幅がある。甲殻類とはいっても、エビやカニよりもダンゴムシなどに近い。
 その名前がどこから来たのかも気になるところだ。よく紹介される由来説のひとつが、からだが乾くと殻が割れたようになることから「割れ殻」という呼び名になった、というものだ。地域によっては「アリカラ」とか「アジカラ」とも呼ぶらしいが、実際に耳にしたことはない。
 乾燥品も、生きて動くワレカラも見たことがないワレはどうすればいいのか。そこでまた登場するのが、彼らのすみかでもある乙姫さん御用達のアマモである。
 藻塩は「玉藻」とか「莫告藻(なのりそ)」とも呼ばれるホンダワラを使ってつくることが多い。そしてアマモも、「藻塩草」として同様に用いてきた歴史がある。だからそうした海藻・海草と一緒に藻塩焼きをすれば、あわれワレカラもともに火あぶりの刑に処せられる。その際、ワレカラの殻がはじけるところを見る海人もいたと解釈すればいいのだろう。
 ワレカラそのものも興味深いが、それにしてもと思うのは古人の言語力だ。「莫告藻」は告げないでね、といった意味だから、現代風に意訳すれば「告らないで」となるのか。風情の点では「莫告藻」に軍配が上がるだろう。
 頭の中ではあっちこっち寄り道をしながら、手は浜で、アマモを探した。
 といっても、ぷつんと切れた短いアマモしかない。岩に張りつくアオサではダメだろう。そう思って、ホンダワラも見つけると拾い、持参した容器に入れて、じーっとながめる作業をくり返した。
 
 と、幾度かの探索のすえ、それらしいものが見つかった。細くて小さい。からだを伸ばした長さで1.5cmぐらいだろうか。
 頭に浮かんだのがナナフシだった。細いからだに長いあしを持ち、俗に木の枝に化けるといわれる擬態昆虫だ。表情までは読み取れないが、とぼけた感じもよく似ている。
 
 
 
 だが、ワレカラはナナフシよりも節くれだっていて、その節からあしらしきものが見えている。
 ――ん? ってことは、何かが足りない。
 昆虫の場合、あしは胸から生えている。だからその仕組みを無視して腹からあしが出ているように描かれた絵を見ると、直感的な違和感をおぼえる。
 ワレカラはその逆というのか、節とあしばかりが目立つ。
 
 
――もしかして、ワレカラには腹がない?
 あしが生えているところが胸だと考えると、7節になる胸に2本ずつあるはずだ。腹があるとすれば胸の先になるのだろうが、あしの数さえはっきり数えられないローガンではよく見えぬ。
 あとで知ったのだが、ワレカラの腹はおしりのあたり、しっぽのようにちょこんと飛び出た部分だそうだ。そして、その先がすぐ肛門になっているという。いやはや、なんともユニークなからだのつくりではある。
 海藻・海草にくっついて暮らす選択をした結果、泳ぐ必要もないので重要でない部分は捨てちゃえとばかりに大改革をしたことで、そんな姿になったとされる。泳ぐタイプの甲殻類は腹に、そのためのあしを持っている。
 
 飼育できるのかどうかわからないが、とりあえず挑戦しようと思って、持ち帰ることにした。
 家族に見せると、こんな言葉が返ってきた。
 「あ。ボウトラックルみたい!」
 ファンタジー映画に出てくる「ボウトラックル」という魔法生物がワレカラに似ているというのだ。
 数日後に、抜け殻が見えた。雑用に追われて余裕がなかったのでそのまましておき、2週間して見たら、相変わらず、ホンダワラの切れ端につかまっていた。
 
 あらためて写真を撮ろうとした。すると、なんだかどこか変わったような……。さらにスリムになって、ますますナナフシに似てきた。
 ナナフシもとぼけた感たっぷりの虫だが、ワレカラのあしは短く、見ようによってはカマキリの前あしにも似る。そのあしで、オラオラと、ひとをからかうような雰囲気をかもし出している。
 どうやら、脱皮をして変身したようである。ひと皮むけて、オトナ感が出てきた。
 こうなったら、もう負けだ。ワレカラに、ますます興味がわく。初めてのことだから、いつまで飼育できるのかわからないが、しばらくは様子をみよう。
写真 上から順番に
・干潮時の人工海浜。殺風景だが、意外に多くの生物が観察できる
・左:海岸に多いコウボウムギ。昔は茎の根元のさやの繊維で筆をつくったそうだ
・右:スナゴミムシダマシの仲間がわんさか生息する。といっても気づいたのはつい最近だ
・アマモはジュゴンのえさとしても有名だ。1頭で毎日、30Kgも食べるという
・初めて見たワレカラの一種。藻くずがくっついているように見えたが、あとになって考えると、これが若いうちの姿なのかもしれない
・海藻があるとしっかり目を開けてワレカラを探したのだが、昨年までは一度も見いだせなかった
・左:ホンダワラに擬態したようなワレカラ。これだけうまく隠れるとは驚きだ
・右:トビナナフシ。ちょっと太めの種だが、ワレカラの雰囲気はこのナナフシに近いと感じた
・おしりに近い5~7脚は物をつかむのに適したあしになっている。これで海草・海藻をがっしりつかむ
・ひと皮むけた感のあるワレカラ。最初に見た姿に比べるとさらにスリムになり、余分なものがそぎ落とされた感じだ

 
 
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