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シミ――しみったれと呼ばないで(むしたちの日曜日96)  2022-07-19

●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治  

 
 砂糖の客人――。
 そう聞けばなんとなく気品漂う感じがするが、それはシミに付けられた学名の意味するところだという。
 いまの時代、そもそもシミを知らない、見たこともないという人たちが増えている。無理もない、住環境はこの半世紀で大きく変わったからである。
 シミが好むのは、いくらか湿り気があり、風通しもよろしくない場所だ。わが家で見たのもさて、いつだったか。
 こうした話をするといかにも古い家屋を想像されるかもしれないが、建築の歴史を誇れるほど古くはない。
 わが家でシミを見たといっても、たまたま見かけたというのが真相である。古書店で手に入れた、たしか食用蛙の養殖法の本の背表紙にいた。はっとして、その本を手にとろうとしたら、何ページだかわからない文字の世界にもぐり込んだ。
 たくみに隠れたか、老眼をあざけるように逃げだしたか……。パラパラとページを繰っても、再び見ることはなかった。
 シミは本をかじる虫だと勘違いしている人が多い。だが、古い本に溝を掘ったような跡を残すのは、シミではなく、フルホンシバンムシなどほかの虫のしわざであるようだ。
 
 それにしてもなぜ、本に住みつこうと考えるのか。
 そこで再び、「砂糖の客人」というワードの登壇だ。本づくりに使われる糊の甘さに引き寄せられ、はるばるわが家の本箱にまでやってきたようである。
 となると、次なる疑問は、どこから来たのか、となる。
 シミがもぐり込んでいない別の内容もまっとうな本を開いたら、庭に置いた植木鉢の下からひょいと顔を出すことも珍しくないと記述されていた。
 
 それならと庭に出て、プランターやレンガ、踏み石の裏側を見たりひっくり返したりしたのだが、姿を見せない。あきらめて散歩に出かけ、そこでようやく久しぶりの対面を果たすことができた。
 そのシミは、樹皮のすき間に隠れていた。うろこと呼んでもいいのだろう、しなやかなよろいのようなもので身を包んでいた。
 シミが何者なのか、どんな生物の仲間なのか、判断に迷うこともあろう。だがシミは、れっきとした昆虫だ。昆虫も昆虫、昆虫のはしりとでもいいたくなるくらい古いタイプの昆虫である。
 「古い本にかみつくんだろ? シミっていうくらいだから、家主がよほどのしみったれということだな」
 彼のいう「しみったれ」に深い意味はなかった。単に、シミとしみったれという言葉を結びつけただけと思われる。
 念のため辞書を引くと、大きく3種類の「しみったれ」が見つかった。ケチであること、こせこせして卑しいこと、見た目が貧弱でみすぼらしいこと、といったところだ。
 
 シミがケチがどうかは、物のやりとりがないのでわからない。こせこせしているといわれれば、ヒトに見つかるとさっと隠れようとするあたり、当たらずといえども遠からずの感はある。だが、最後の貧弱でみすぼらしいという点については、シミに代わって、反論したくなる。
 
 シミは骨董的な昆虫だ。登場した時代には、多種多様な昆虫仲間がいた。
 しかし、古代の昆虫の多くは、より遠くに行けるように、空を飛ぶためのはねを手に入れる画策をした。ゴキブリもそうだ。まっすぐ一方向にしか飛べないというドン臭さはあるものの、とりあえずの飛行能力は得た。
 ところがシミのご先祖さまは、そんなものに目もくれなかった。がんこにも旧来の姿を守り通したのである。
 だから、空飛ぶシミはいない。はねがないから、人目にふれる部分はシミのからだそのものである。よく見ればいくつかの体節に分かれていて、それが柔らかいため、しなやかな動きになる。
 カブトムシやクワガタムシは、いかにも立派なよろいを身に着け、将軍を思わせる貫禄がある。トンボには、空中でいったん停止のホバリングができるだけの筋力とはねがある。舞うようにひらひらと飛ぶチョウだって、あのはねのおかげであでやかに見える。
 それらに比べるとシミはなるほど、みすぼらしい。装飾とかデザインとは無縁の無粋な雰囲気が漂い、おしゃれとは遠い存在の昆虫にみえる。
 カブトムシやチョウのように幼虫の時代もあるものの、外見上は幼虫も成虫も変わりがない。完全変態とか不完全変態という分け方ともいささかの距離を置く、無変態の昆虫とされている。
 
 「不」と「無」の違いがどの程度なのかよくわからないが、不完全変態のナナフシだって、何度皮を脱いでも大きな変化はない。だが、成虫になればもう飽きるのか、それ以上の脱皮はしない。
 日本語的には変態がないという意味なのに、「無」変態の昆虫は、成虫になってもまだ皮を脱ぐ。だからむしろ、「超変態」とでもしてくれた方が素人には理解しやすい。
 親が親なら子も子。シミはどの時期も、うろこに覆われたヘンテコな生き物ではある。だけどそれを、貧弱とかみすぼらしいという言葉で表していいのか。
 邪魔になるはねがないので、シミは狭い場所にもすんなりと入っていける。紙と紙の間も、苦労せずに、自在に行き来する。
 紙のように薄っぺらなからだをそう見立てたのか、紙の束を海に見立てて命名したのか知らないが、「紙魚」とは言い得て妙である。
 それならと親切心から、水浴びをさせたり、水槽で泳がせたりするのはよろしくない。「魚」の文字があっても水生昆虫ではないので、そんなことをしたらお星さまになってしまう。
 
 あらためてシミのからだを見る。
 頭には長い触角がある。
 ところがしっぽと呼びたい尾毛3本のうちの外側2本だって、触角と見まごう形状と相応の長さを誇る。まんなかの尾毛1本があることで、かろうじておしりなのだと判断できる。
 昆虫なのだから、あしは6本だ。しかし動きがすばやいので、あってもなくても同じように見える。なめらかな動きで、昆虫というよりも魚の動きを思わせる。その意味では、魚に見立てたのは正解だ。
 それ以上に目立つのはやはり、からだ全体を覆ううろこである。自慢のよろいだって長く使えば古くなり傷みも出るのだろう。それでシミは、脱皮を繰り返す。
 たとえてみれば、常に新しい衣類を身につけているようなものでもある。ファッションに気をつかうことはなくても、汗臭くぼろぼろになった、しみったれた着衣でないことはたしかだ。
 しかも、シミの脱皮は成虫になっても続く。だから無変態昆虫なのであり、成長し続けるのだ。古くさい虫だからといって、侮るのはよろしくない。
 鋼鉄ボディーを持つカブトムシはたった1年で没するが、しなやかなうろこのシミは生きかたもしなやかなのか、7年も8年も生きるそうだ。1年間絶食しても平気だというから、すぐに「腹減ったー!」と叫ぶ人類の端くれとしては、いささか恥ずかしくもなる。高楊枝で平然としていた武士だってきっと、一目置くにちがいない。
 太平の世を迎えた侍たちは、糊口をしのぐため傘張りをした。その傘を張るためののりではないが、シミは書物のでんぷんのりがついた部分を好む。もっともシミは、安っぽい大量生産の紙には興味を示さないのだそうだから、本ならなんでもいいとはならない。
 現代ではシミをわざわざ飼育する人たちがいて、両生類や爬虫類のえさにする。クモに与えるために飼う人もいる。必要な人たちにとってシミは、意外に身近な昆虫なのかもしれない。
 でもそれはごく限られた趣味の世界の話だろうと思っていたら、そうでもないらしい。風通しが悪く、段ボールがいっぱい置いてあるようなところがあると、湿度を求めて一般家庭に出没する例もあるという。古代昆虫との出会いを期待して到来を待つか、通気を良くして侵入を防ぐかはそれぞれの考えに任せよう。
 シミは小さな虫の死がいをえさにする一方で、ヒトの髪の毛やふけ、ほこりなども口にするのだとか。だったらそれは、自然界の掃除人にたとえてもいい。
 古代の地球環境を考えると、温暖化が進めばシミも生活しやすくなるように思う。
 すると、これからはシミに遭遇する機会もふえるのか?
 ペットのえさにする人は喜び、そうでない人たちは恐れるのだろうか?
 どちらも個人的には興味深い。
 
 忘れていけないのは、無変態昆虫の唯一の同類であるイシノミだ。
 イシノミの外見は、シミに似る。だが、魚にたとえられるシミとちがって、その名になぜ、石が関係するのか?
 そんな疑問を抱きながらイシノミをながめると、答えが見つかる。
 イシノミは石の上で見つかることが多く、手を伸ばすと、どこにそんなパワーがあるのかと驚くほど跳ねるからだ。石があるようなところにいて、ノミのように跳ぶ。だからイシノミというわけだ。
 実際には石だけを好むともいえず、落ち葉が積もり倒木があるような薄暗い場所で出くわすこともある。とぼしい遭遇体験でしかないが、イシノミの仲間と思える虫に出会うのは、九州や南西諸島などの暖地が多かった。
 シミに似るイシノミだが、ぼくが見たのはどれも茶色く、カタい印象を受けた。それにイシノミは野外でしか見たことがないから、それだけワイルドな昆虫なのだろうか。
 シミとは分類上で一線を画すが、成虫になってからも脱皮をくり返す点は同じだ。そして、2、3年は生きるとか。水はくちで飲むのではなく、腹から吸収するともいう。
 シミもイシノミもちょっと観察すれば満足できるから、飼育したいとは思わない。
 だがしかし、人類よりもずっと早くこの地球に現れた先輩生物なのだ。敬意をもっと払うべきかもしれない。
 どこかで出会っても、しみったれた虫だとは言わないようにしてね。
 
写真 上から順番に
・シミは落ち葉の下にもいるらしいが、そういうところでの遭遇はまだない
・おや、このしっぽ! どこかで見たことがあると思ったら、久しぶりのシミだった
・よく見ると、つぶらな瞳のシミ。ドキッとしたのか、親切心からなのか、じっとして撮影に協力してくれた
・ナナフシモドキの幼虫。何度か脱皮をするが、外見はそれほど変わらない。成虫になったら、脱皮も終了だ
・シミはれっきとした昆虫なので、あしの数を見ると……なるほど6本だ
・渋い輝きを持つ銀色のよろい。英名が「シルバーフィッシュ」なのも納得だ
・シミと同じく無変態昆虫のイシノミ。成虫になっても脱皮を続けるそうだ
・草の上にいたイシノミ。色の対比がいいから、シャッターチャンスとばかりに1枚撮らせてもらった

 
 
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