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シンジュサン――正邪のさじ加減(むしたちの日曜日97)  2022-09-20

●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治  

 
 わが家はずっと、生き物の飼育や観察を娘や息子の自由研究の課題にしてきた。最近はそれを孫が引き継ぐ形になっているが、自分が子どもだったころは何をしたのだろうと、ふと思い出すことがある。
 
 児童数が1学年200人はあった昭和30年代の小学校のことだ。人口だけはやたらと増え、そもそも自由研究というようなものがあったのかどうかさえあやしい。それでも夏休み中に工作や虫捕りをして、学校に持っていったことはよく覚えている。
 ある年は、昆虫採集をした。デパートに行くと昆虫の標本づくりキットのようなものがあって、それを使ってみたいという少年らしい衝動に駆られたからだ。
 箱の中には、小さな瓶に入った赤と青のあやしげな液体が1本ずつあった。
 赤い瓶にも青い瓶にも、どんな薬だとは記されていない。だがなぜだか、赤い液体を注射すれば虫が死ぬだろうと思ってそのようにし、その後でおもむろに、腐らせないためだと信じる青い液体を注入した。
 ずっとあとになって知ったのだが、成分的にはどちらも同じようなものだったらしい。子どもたちに注射キブンを味わってもらおうと開発した商品だそうだ。
 医師でもなければ、注射器を扱うことはない。だからそんなスゴいものが手にできただけで、気持ちが高ぶったのは確かだ。
 
 興味深いのは、そのキットの商品名である。「昆虫採集セット」と印刷された箱に入っていたが、採集するための網がなければ虫かごも付いていない。明らかに、その採集セットを使わずに捕まえた昆虫を標本にするためのセット、それが当時の子どもたちにとって魅惑の「昆虫採集セット」だった。
 そのころから虫は好きだったが、生きて動いている虫でないと、関心はなかった。それで飼育はしてもコレクターになることはなく、現在に至る。
 
 虫殺しの訓練不足なのか、蚊がいまだにうまくつぶせない。
 ブーンと飛んでいるのを見つけたら手でぴしゃんとたたくだけなのに、子どものころから、どうも苦手だ。
 その段になるとどうしても手の甲を丸めてしまい、すき間から蚊はゆうゆうと逃げだす。「へへん。ちょろいものだぜ」とせせら笑うように、ブーンという羽音だけを耳元に残して。
 その結果いまも毎日、庭に出るたびに蚊に刺され、かゆみどめを売る会社に貢献している。
 そんな過去の虫との接し方が関係するのか、益虫とか害虫とかいう感覚が鈍い。みんなちがってみんないいという種の多様性を賛美するような気持ちは強くないのだが、益とか害とかの区分はどうでもいいと思ってしまう。
 空気が重くねっとりとした時代から存在する虫たちのことだ。地球温暖化が進めば人間は困っても、虫たちはさらに勢いを増すだろう。そうなったら、往年の「昆虫採集セット」をもってしても対応しきれないことは目に見えている。
 だから益虫だとか害虫だとかで色分けしていても、それほど意味はないように思うのだ。
 第一、両者の違いは紙一重ではないのか。
 というか、人間が勝手にそう思いたいだけであって、彼らの行動から正邪を判定することはできないはずだ。
 ――と自信を持って言えればすっきりするのだが、閑居する小人のかなしさよ。そうはいかぬ。わが菜園だけでも野菜づくりの邪魔になるカメムシやイモムシ・ケムシはわんさかいる。
 そいつらに遭遇すれば迷うことなく、「害虫じゃけんね!」と邪険に扱う。それなのに、孫の自由研究の足しになると思えば、どんなに葉をかじられ汁を吸われウイルスをばらまかれようと、「よかよか。おぬしらも食わんと生きていけんじゃろう」とやさしい言葉のひとつもかけたくなる。
 善か悪かの境目なんて、あんがいこんなものかもしれない。
 
 考えてほしい。カイコガの幼虫である蚕は「お蚕さん」「お蚕さま」と呼ばれ大切にされるが、どう見てもイモムシの一種だろう。
 蚕はたまたま、桑だけを食べた。
 その桑は養蚕農家が自ら、蚕のえさにするために育てるものだ。
 ゆえに、蚕以外の虫が近づけば害虫だとみなすが、それを元気よく大量に食べる蚕を見れば愛らしく頼もしく、いずれもたらされるはずの利益を思って飼育にさらに力が入る。
 
 「家蚕」である蚕に対して、ヤママユやウスタビガなどは「野蚕」と呼んで区別する。だが、「蚕」の文字を使うことからして、蚕に準ずるものでありたい、あるといいなという気持ちも混ぜ込んでいるのではあるまいか。
 蚕の祖先とされるクワコを除くと、ほかの蛾類の食樹はクヌギだったりコナラ、ニワウルシだったりして実に多様だ。そのえさ植物も必要だから、どんなものなら育つのか、どれくらいの割合で繭になるのかといったことが話題になり、課題になる。
 
 クワコはご先祖さまということで敬意を表して外すとして、野蚕でもっとも魅力的なのはヤママユだ。大島紬について書くことがあって調べたところ、ヤママユの繭からとった糸で織るのが奄美大島の大島紬のルーツだったようだと知った。
 大島紬には蚕の糸を使うが、うんとむかしはヤママユからとる「天蚕糸」で織っていたというのである。
 ヤママユは「天蚕」とも呼ばれてきた。しかし、最終的には体長8cmにもなる巨大な幼虫を大量に飼育するのは、思う以上にたいへんだ。
 網をかけたハウスに地植えした食樹があっても苦労は変わらない。どこに繭をつくったのかと探すだけでも相当な労力を要する。遊び的に数匹飼うぼくのような趣味の飼育とちがい、生業にするためには相当な覚悟が要る。
 そうした「繊維のダイヤモンド」とたたえられる天蚕繭をしのぐ美しさを誇るのが、ウスタビガの繭だ。同じ飼育の苦労を味わうなら、どうしてこちらをもっと増やさないのだろうと思ったこともしばしばである。だが、実際にはそうなっていない。
 
 イモムシだからどちらも苦手なのだが、ウスタビガの幼虫は飼っているとチイチイと鳴いて、なかなかにかわいい。それに繭をつくり上げる直前には頭をちょこんと出し、あいさつをした後でようやく繭の口を閉じる律儀さも備える。
 その繭の口だって完全に閉じるのではなく、両端を軽く押せば、ぱかっと開く。だから、顔を見たいと思えば、のぞき見もできる。そんな愛きょうのあるのがウスタビガだ。でも、ヤママユには勝てなかった。
 
 クスサンの幼虫である「白髪太郎」はその名の通り、ふさふさの長い毛でからだを覆う。むかしからテグスを取るイモムシとして知られ、腕白小僧は足で踏んづけて頭を引っこ抜き、出てきた絹糸腺を酢水につけて長く引き伸ばし、釣り糸にした。
 だからクスサンはテグス糸を取るという意味では大きな価値があるが、その繭はとても素人の手に生えない。
 なにしろ、ごわごわスカスカだ。「透かし俵」と名づけた人のネーミングセンスはなかなかのものである。ざっくり編んだ俵のような繭の中でさなぎとなって、羽化の時を持つ。
 
 なんとも使いにくそうなクスサンの繭だが、実際には織物の材料として、利用される。きれいに整えられた糸の束や織物を目にしたときには、なるほどきちんと処理すればこんなふうになるのだと感心したものである。
 繭をつくる蛾ということではオオミズアオも外せないが、油紙のピーナッツのような繭ではおそらく糸が取れまい。妖艶さを誇る蛾であることは認めるが、糸が利用できるとは思えない。
 
 
 ぼくの身近で見たり飼ったりすることができるのは、これくらいの野蚕だ。しかし機会があればぜひとも手に入れたいと思っていたもうひとつの繭がある。それがシンジュサンである。
 神樹蚕とはまあ、なんと荘厳な名前であることか。神樹というのは、すぐにでも天に届いてしまいそうなくらい成長の早い樹木というくらいの命名らしく、英語の「Tree of heaven」を単純に訳しただけらしい。標準和名はニワウルシとなっている。
 「この辺には、邪魔になるくらい生えてるよ」
 福島の友人と山歩きをした時、そんなふうに言われた。寒い冬の時期だったが、なるほどニワウルシの木は何本も目についた。
 だが、ぼくの住む関東ではあまり見たことがない。
 というか、はっきりとこれだと言える木に出会ったことはなかった。
 
 それから数年後の昨年、地元と言っていい場所でたまたま、シンジュサンの繭を見つけた。冬枯れの季節でなければおそらく、気づかなかったはずだ。けっこうな高さの枝に、ぽつんぽつんと、ぶら下がっていた。
 苦労して手にした数個の繭をビニール袋に入れて目の前に置いていたら、夏の初めに1匹だけ、羽化してくれた。ごそごそというかすかな音がしたので目をやると、神々しい大柄の蛾がそこにいた。
 
 あこがれの蛾だ。デカい蛾ということではスズメガ類もそうだが、あのジェット機体形とは異なり、ヨナクニサン型である。ヤママユ、クスサンもその仲間だが、シンジュサンはヨナクニサンに次ぐサイズなので、感激の度合いがちがう。
 そこでまた、ふと思い出したのが、学生時代に何度か出かけた沖縄の土産店に必ずと言っていいほどあったヨナクニサンの標本だ。最近は空港の限られた店に、ぽつんと1個だけ置いてあるような商品になっている。
 そのヨナクニサンに似る蛾だから、糸をとるよりも標本にした方がビジネスにしやすいのではないか。
 だが、生き物は生きたままにしておこう、捕まえてはよろしくないという風潮もある。それでも飼育した野蚕の繭からとる糸は珍重されるし、その繭を利用するために奪われる蛾の若者であるさなぎの数は相当なものだ。
 初めてわが家で羽化したシンジュサンの成虫をながめつつ、そんなことを考えた。
写真 上から順番に
・わが家の自由研究はずっと、生き物観察が当たり前だった
・研究の内容によっては、「見せる」ことを重視しない標本もある
・蚊は裏切ることがない。いつでもさーっと飛んできて、接吻をしてくれる
・お蚕さん。何度飼っても、ぼくにとってはイモムシ以外の何者でもない
・野外で見つかるヤママユの繭は黄色がほとんど。飼育しないと、美しい緑色の繭は手に入らない
・繭の仕上げ期。飼い主とのしばしの別れを惜しむように、頭をのぞかせてあいさつをする(?)ウスタビガの幼虫
・左:クスサン糸で編んだ反物。野生的で落ち着きのある色合いに仕上がっている
・右:葉巻のような、油紙を巻いたようなオオミズアオの繭。これでは糸がとれまい
・シンジュサンの繭。初めて見つけたものだけにうれしかった
・シンジュサン。標本では何度も見ているが、目の前で羽化したてのものが見られるとは幸せだ。なによりカッコいい!

 
 
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