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クワコ―今は昔の蚕のご先祖 (むしたちの日曜日36)  2012-11-08

●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治  

 
ぶらーり、ぶらり。北風に揺れるクワコの繭
 色づいた葉がはらはらと落ちるようになると、それまで気づかなかったものにまで目がいく。野生の桑の木にぶら下がったり枯れ葉に巻き付いたりしている白っぽい綿状のものがあれば、クワコの繭かもしれない。
 クワコ――。
 といっても、分かる人は少ない。
 たいていは「蚕の原種とされる」といった形容する言葉がくっついて話題に上り、それで初めて、ほほう、という声が上がる。
 
 実物を見る機会はすっかり減ったが、それでも日本人の多くは「お蚕さま」という虫の存在をよく知っている。富国強兵と一緒になって登場する、学校で習った数少ないイモムシでもある。
 くちから糸を吐き出してつくる繭は絹糸として利用され、日本人の衣類となるだけでなく、外貨をも稼いだ。その蚕は有名なのに、ご先祖のクワコの知名度が低いのはいかにもさびしい。5000年も6000年も前の昔、中国で飼い慣らされたクワコが蚕になったとされるのに、である。
 
ご存じ、お蚕さま。クワコがご先祖さまと知っているのかいないのか……
 クワコを知っていても、何かの役に立つことはない。まるですましたような顔つきで桑の木にへばりつくクワコの幼虫を見つけても、白い繭が冬枯れの野で北風にいたぶられていても、普通の人の生活にはなんら影響しない。
 ところが、そうした価値のなさそうなものにこそ価値を見いだす人々がいるのもまた確かだ。枯れ枝にくっつく卵、枝と見まごうばかりの擬態姿勢をとる幼虫を山桑のどこかに見つけようものなら、地上から5ミリは足を浮かせてヨロコビ、ほかに狙う者はいないかを素早く確かめながらささっと手を伸ばす。彼らにとってそれは、ジクソーパズル状に存在する自然界の宝物のひとつを発見したに等しいからである。かくいうわたしも、その一人であることは否定しない。
 
 なにしろ蚕の先祖であり、蚕蛾がなくした飛翔能力を残す希少品だ。卵から、あるいは幼虫を育て上げれば、その勇姿も見られるにちがいない。そう思うだけでますます浮き立ち、大風でも吹けばそのまま飛んでいきそうな気分になる。
クワコの幼虫。これはキツネのポーズ。って見えないかなあ
 それでなくても、幼虫の百面相は千金に値する。見た目には頭でしかないところが風船のごとくプーッとふくらみ、目玉模様をぎょろつかせて人間サマを威嚇する。そうかと思えばキツネのように尖ったフォームを形成し、1本の木の枝を見事に演じきる。蚕にも目玉模様はあるが、ここまで個性的・刺激的な姿態を見せることはない。
 
 実に魅力的だ。そこでわたしはクワコの幼虫を幾度か持ち帰り、飼ってみた。家の目の前にある雑木林の一角に山桑が生えているため、餌には困らない。
 新鮮な桑の葉を口にした幼虫は昔ばなしの桃太郎のようにすくすくと育ち、飼育容器の隅、あるいは餌として与えた桑枝の一部にしがみついて繭をつくった。空を飛ぶ蚕になるまでに、あと一歩だ。
 うし、うし、うししと相好を崩す日が何日か過ぎ、いよいよという日がやってきた。今夜あたり羽化しそうだぞと予感させる日が――。
 
飼育容器の片隅でつくった繭
 繭の中でこしらえた蛹の皮を破り、クワコの成虫が顔を出す。その瞬間を撮ろうと構えていたカメラの前に現れたのは、蛾の特徴を思わせるものを何ひとつ持たない異形のものだった。
 ――ゲッ!
 と吐き捨てた言葉を舐めるように目の前でもぞもぞとうごめくのは、ウジ虫であった。いずれハエとなるはずだが、いつ入り込んだものか。
 
 その答えは分かっている。クワコの幼虫時代に寄生バエの親御さんが産みつけた卵が体内でかえり、いまになって外に脱出したのだ。それを裏付けるように、そのウジ虫はしばらくして赤茶けたさなぎになり、飼育容器の底でごろんごろんしていた。
 はからずもハエを育てるはめになったが、それも自然界のメカニズムの一端だ。受け入れるしかない。
 
わが家の玄関の明かりを目指して飛んできたクワコの成虫
 研究者に聞くと、野外で採集したクワコ幼虫の場合、成虫になる前にかなりの高率で昇天する運命にあるという。寄生バエの立場からみればまたちがった思いになるのだろうが、少なくとも自分が育てた幼虫が羽化することなく没するのは悔しい。
 そうした危険を免れて成虫になるクワコももちろんいて、羽化してしばらくすると、ビロードのように艶やかなはねを広げて飛び立っていく。そして気が向けば、わが家にもまた、立ち寄ってくれるのだ。
 
 「おお、久しぶりだなあ。元気だったか」
 と声をかけても、返事はむろんない。わが家で育ったクワコである確率はきわめて低いからである。
 この冬もクワコの繭が目にとまる。温暖化の影響をどこまで受けているのか知らないが、冬枯れの野山歩きを楽しませてくれる逸材であることはまちがいない。(了)
 
 
写真 上から順番に
・ぶらーり、ぶらり。北風に揺れるクワコの繭
・ご存じ、お蚕さま。クワコがご先祖さまと知っているのかいないのか……
・クワコの幼虫。これはキツネのポーズ。って見えないかなあ
・飼育容器の片隅でつくった繭
・わが家の玄関の明かりを目指して飛んできたクワコの成虫

 
 
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