タコ――愛すべき海の賢者(むしたちの日曜日86) | 2020-11-24 |
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●プチ生物研究家、ときどき児童文学者 谷本雄治 |
農作物に大きな被害をもたらすイノシシの北進が勢いを増している。 そんなニュースが流れてきた。東北地方の冬の寒さには耐えられないとみられていたが、近年は東北全域で捕獲数や目撃例が増えているという。 かつては、宮城県が北限だった。それなのに地球温暖化や個体数の増加によって、進出が目立つようになったというのである。 イノシシは雑食性でなんでも食べるが、好物のひとつはサツマイモだろう。収穫期の芋だけでなく、植えたばかりの若い苗も掘り出して食べる。茎葉を目的にした専用品種もあるくらいだから、イノシシの目のつけどころもなかなかだ。 実をいうとぼくは、芋のつるが好きだ。 といっても食べるのではなく、いつのころからか、芋づる式の発想を愛するようになった。   今回はイノシシからサツマイモが頭に浮かび、ふと思い出したのがタコだった。海にいるはずのタコが陸に上がり、芋を引いていくという話である。 あれだけ広い海だ。わざわざ水のない世界にまで遠出して、えさ探しをしなくてもいいだろう、ホンマかいな、と疑うのは自由だ。 しかし、実際に目撃したという証言をたびたび耳にしてきた。そうでなくても、タコ坊が芋のつるをかついで海に向かう図を想像したら、愉快になるではないか。 本当にそんなことができるのか。 すこし調べてみて、知れば知るほど、さもありなんと思えてきた。   タコとは何者ぞ。 まずは、そこから始まる。 名前の由来を探ってみた。 たこつぼ形の土器が、弥生時代の遺跡でいくつも見つかっている。最初のうちはタコという名前をつけていなくても、どんぐりなどと同じように、ありがたく食べていたのだろう。 それをタコと呼ぶことにしたのは、うんと後になる。 手だかあしだかがたくさんある生き物ということで「多股」、あるいは「手許多(テココラ)」が縮まった、ナマコ(海鼠)の仲間なのに手があるから「手海鼠」となり、それがタコとなった――などなど、多くのことばがそうであるように諸説ある。 いずれも、なるほどとは思える。だから、その説が消えずに残るのだろう。どれをとるにしても、尋常ならざる手・あしに目がいったことは確かなようである。
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タコを示す漢字も多い。「蛸」「章魚」「鮹」「鱆」と、これまた、いろいろある。 虫好きには、「蛸」が捨てがたい。「蛸」の文字は本来、クモを表すものだったという。漢字の国・中国で「蛸」と記せば、クモのなかでも特にアシナガグモを指した。 なるほど、あしが長い。 そんなところから海にすむ8本あしの生き物ということで「海蛸」「海蛸子」となり、今日まで消えずに残った。アシナガグモとタコではイメージがかなり異なるが、あしの数は同じだといわれれば、まあそうかと、うなずくしかあるまい。   学校で習ったように、タコは軟体動物の一種だ。 ということは、貝の仲間だということも意識しなければならない。 見るからにぐにゃぐにゃの体だが、殻のない貝と考えればなるほどと思い当たるフシはある。分類上はヒザラガイもハマグリ、サザエ、イカ、タコもひっくるめて、軟体動物というグループでまとまっている。 とはいうものの、素人目には、なんとも大ざっぱな分け方に映る。 タコの場合は頭からすぐあしが生えているので、頭足類と呼ばれる小グループに属する。そのほかの軟体動物も同じように、それぞれをまた小さな集団に押し込めている。 タコの漫画の多くは、ハチマキ頭で描かれてきた。くちは突きだし、8本のあしを器用にあやつり、思い思いの動きを見せる。 そんなことから、どこか憎めないキャラクターとして日本人の脳みそにとどまるのだろう。「デビルフィッシュ」と信じる外国人からしたら、オドロキのひとつだ。 だがそこには、生物学的に大きな間違いがある。丸い部分が「頭」と呼ばれ、一般には「タコの頭」と認識されることである。 「頭」と称するアレは内臓が詰まった胴体であり、外とう膜という名前がついている。つまり、体を包む袋のようなアレが外とう膜で、それを持つことで軟体動物たり得る。   似たような姿かたちだから、イカは無理なく受け入れられよう。しかし、サザエ、ハマグリとも同類だといわれても、にわかには信じがたいのではないか。 それは、いいことでもある。そうでないと、なにかと物騒なニンゲン社会では詐欺にあう。 見た目にわかりやすい体を持つ、二枚貝のハマグリと比べるといいだろう。ハマグリの外とう膜は、貝殻の内側に張りついたようになって体を覆う。それに対し、進化の過程で基本的に貝殻を捨てたタコの外套膜は、頭からつきだしている。   では、あしはどうか。 タコには8本ものあしがあるが、ハマグリにはない。その代わり、ハマグリには舌のようなものがあって、俗に「あし」といわれている。 ということは、見た目のちがいは多少あっても、結局はタコもハマグリも同じ仲間ということになる。   ちなみに、頭足類であるタコについて話すとき、専門家の多くは「あし」と言わず、「腕」と呼ぶようだ。しかし、そんなことまで気にするとタコ足配線ならずとも混乱するので、もうやめる。 なんだか、ケムに巻かれた気分になるかもしれない。 そこでまた芋づる式に考えるのだが、タコもイカもスミを吐くのに、イカのスミ料理はあっても、タコにないのはなぜだろう。 タコは、敵におそわれると煙幕のようなスミを吐く。そうやって、相手がなんだなんだ、どーなったのだ、などと戸惑うすきをねらって、垂直方向に逃げるという。忍術でいえば、目くらましみたいなものだろうか。 対するイカのスミは、かたまったまま。海中で、ある程度の形を保ったまま存在することになる。そのため敵は、そこに別のイカがいると勘違いするのだという。こちらはいわば、分身の術だ。 危機脱出策として、どちらが効果的なのかは知らない。だが、同じようにスミと呼ばれるのに、あしの本数が異なるようにして異質のものとなっているのは興味深い。しかもそれが、タコのスミ料理がない理由にもつながっているのだ。 イカのスミは調理の際、あしと一緒に引っ張りだせる。「墨汁のう」と呼ばれるスミ袋がそのまま取り出せるため、扱いやすい。 タコの場合にはキモ(肝臓)に埋もれていて取り出しにくいうえ、量も少ない。それで実用的ではないと判断される。 だったら味はどうかとなるのだが、両者譲らぬ感があり、味覚オンチのぼくにはなんともいえない。 そんなこんなで、ますますこんがらがってきた。かくらんの効果は確かに感じる。
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原点を振り返ると、このタコばなしの入り口にあったのは、タコに芋泥棒ができるかどうかだった。 そうなのだ。タコは賢いということを知ろうとしてつい、深みにはまった。 とにかく、単純な答えが欲しい。 と思って調べたら、タコの特徴はあしが8本あるだけでないことがわかってきた。心臓は3つ、脳にいたっては9つもあるのだ。 ここでさらに踏み込むことは避けるが、体の9割が筋肉とはいえ、タコさんはただの筋肉バカではないのである。「このタコ!」なんて、思っても口にしてはならない。   よく紹介されるのが、こんな実験だ。 タコを水中で、ふた付きの瓶に閉じ込める。ところがタコは苦もなく、ふたを開けてしまう。あしの吸盤を器用に使って、ぐいぐいきゅるきゅると回しながら開けていく。 その映像を初めて見たときには驚いた。最近とみに力が衰えていくぼくは、新しいペットボトルのふたを開けるだけでも苦労する。それなのにタコ坊は、どこ吹く風と難なくクリアするのだ。それができるのはタコの脳が優秀であるからだという。 そしていわく、タコは吸盤で物を感じる。つまり、昆虫でいえば触角みたいな役割を果たしているようなのである。 別の映像には、自分の気に入った貝を抱えるようにして持ち歩くタコがいた。8本のうちの2本を使い、まるで2本あしで歩くように前進するタコがいた。 そうかと思えば、瞬時といえるほどの短時間で体色のパターンや凹凸を変える擬態の達人もいる。   タコの天敵はウツボだという。「海のギャング」である。両者が出会うと五分と五分の戦いになるそうだが、頭脳の優秀さではタコが上回るのではないか。そんなところから、思うつぼ、ということばが生まれた。 というのは、タコ呼ばわりされてもしかたがない冗談である。 いよいよ判断に困ったら、たこ焼きを食べるといい。 そのたこ焼きの元祖は昭和の初めの「ラヂオ焼き」だったとか。 そこに、タコは入っていなかった。 そうなってはもはや、凧揚げならぬ、お手上げである。
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写真 上から順番に ・かつての分布北限は宮城県だったが、あっさりと塗り替わった。イノシシの北上には、温暖化も影響するようだ ・タコがサツマイモ畑にやってくる話はたびたび耳にする。実際に見たことはないが、実話であってほしいものだ ・たこつぼも近ごろは、つぼの形をしているとは限らない。四角い箱状で、ドアならぬふたまで付いている ・細くて長い体をアピールするアシナガグモ。中国ではもともと、こんなクモを「蛸」と表したようだ ・こうして見ると、たしかに悪魔だ。デビルフィッシュと名づけた人の気持ちもいくらかわかる ・ハマグリには俗にいう「あし」がある。その存在により、理屈上はタコの仲間だとわかる ・吸盤を見せつけるようにして水槽に張り付くタコ。これを「あし」と呼ぶのか「腕」と言うのか、タコ自身に尋ねてみたいものである ・ちょっとやさしい目をしたタコ。眠たいのか、何かを考えているのか ・タコの天敵、ウツボ。相当におっかない魚として、人間にも恐れられる。タコが手を焼くのもうなずける
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