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大石和三郎とジェット気流の観測 【3】  2016-08-12

●NPO法人シティ・ウォッチ・スクエア理事長 林 陽生  

 
館野高層気象台の設立準備
 大石がドイツ留学中に研さんを積んだリンデンベルグ高層気象台は、1890年代にヨーロッパで最初の高層大気観測を行った歴史のある気象台である。彼はこの時に、測器製作者のアスマン(R. Assmann:現在最も使用されている最も優れた乾球湿球温度計の発明者)や、その同僚たちの傑出した研究成果に巡り合う。また、リンデンベルグ高層気象台には、その後に大気境界層の研究者を多く排出するにふさわしい豊富な高層大気観測データが揃っていた。
 
 この時代の若い研究者の海外留学は、西洋の科学を日本へ移植する使命があった。このために、明治時代を通して約600名の日本人が海外に留学したことが知られている(Basalla, 1967)。当初は、留学先がフランスとドイツだったが、20世紀の初めころにはこれにアメリカが加わった。
 
 前回(第2回)表1に示した履歴をみると、大石は1913年の始めにドイツから帰国している。これはヨーロッパの情勢が不安定に向かったためと考えられ、第1次世界大戦の始まりが、高層気象観測の計画の一部に影響したことが推察できる(1914年8月に、日本はドイツに宣戦布告している)。
 大戦後の1919年10月に大石はアメリカを訪れ、高層気象観測のための機器類を調達した。「長峰回顧録」(大石,1950)には、アメリカ滞在中にインディアナ州のRoyal Centerとノースダコタ州のEllendaleの高層気象観測所を訪問したことが記載されている。
 
 大石は、アメリカへの出発の前に、高層気象観測に適した土地を見つけるために東京の外縁地帯を調べ歩いた。東京の北東方面へ旅行した際に、太平洋に近接した平坦な12万坪ほどの広大な土地を見つけた。富士山はこの地の南東160kmで、気象要素の一つである視程の観測にも都合が良さそうだった。中央気象台は、1919年8月にこの地「館野」を高層気象観測施設の用地として確保した。こうして館野高層気象台の主要な建物が1920年に完成した。大石は、この観測組織の長となることが約束されていた。思えば、1910年(明治43年)に鹿島灘沖で多数の犠牲者をだした海難事故を発端として、高層気象観測の重要性が認識されて以来10年が経過していた。
 
参考資料
Basalla, G., 1967: The spread of western science. Science 156, 611-622.
大石和三郎,1950:長峰回顧録.高層気象台彙報,特別号 付録,1-22.


 
 
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