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温暖化が農業に与える影響
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大石和三郎とジェット気流の観測 【9】  2017-02-14

●NPO法人シティ・ウォッチ・スクエア理事長 林 陽生  

 
風船爆弾計画の実態
 風船爆弾作戦が実行に移される過程は、戦後行われたMikesh(1973)による調査報告書に詳細にまとめられている。日本軍は綿密な計画のもとにこの作戦を進めたが、その発端においては極めて不確実性が高かったことがうかがわれる。当初、そもそも北米大陸の爆撃が可能か否かについて「非現実的とは考えられない」といった程度の認識から、この計画は走り出した。多くの困難な問題が予想されていたが、万策を尽くして成功に導かなければならなかった。ただ、大石和三郎が20年前に観測した強い西風は、恒常的に日本列島上空からアメリカ本土へ向かって流れていた。
 
 問題解決のために中心的な役割を果たしたのが、登戸研究所である。科学者と技術者による最初の会議が1944年5月に行われ、「フ号計画」と名付けられた(シリーズの6回目に掲載したミケシュの報告書の表紙を参照)。この作戦に対して、当時の金額で200万円の予算がついた(最終的な経費は900万円にふくらむことになる)。この段階で、藤原咲平(1941年7月に、岡田武松の後を受けて第5代中央気象台長になる)らが計画全般を指導する役割を担うことになり、荒川秀俊が嘱託の命を受けて気象部門の研究を分担した。
 
 作戦では、冬期の強い偏西風が現れる期間に、集中的かつ効果的な攻撃を決行する必要があった。1944年から翌年にかけた冬期に、1万発の風船爆弾を放球することが決まった。気球の素材は和紙で、1個の風船が全部で600枚の紙片で構成されていた。和紙を貼り合わせる糊の素材にはコンニャクイモを使ったが、食糧難の時期に、これは苦しい判断だったに違いない。
 
 風船の漏れを検査するために、室内で直径約10mにふくらませる必要があり、大きな劇場などの建物が使用された。さらに生産個数が増えるに従って、建設費用を節約する目的で、日劇ミュージックホールや国技館が作業場として提供された(写真参照)。検査に合格した気球は、表面に保護用ラッカーを塗布した。これらの作業には女子学生が動員された。大量生産のために数千人が作業に関わったが、何を製作しているかなどの情報は厳しく統制された。こうした実態は、櫻井(2007)に詳しく記述されている。
 
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 ところで放球に際しても、近隣住民に知られないように実行する必要があった。このため、放球基地は人家のまばらな太平洋沿岸に位置する漁村の近くに複数箇所設けられた。しかし、上空での気圧減少による膨張を考慮して、水素ガスが少量だけ充填された正体不明の白い物体が、防砂林の上を太平洋に向かってゆらゆら上昇する姿を、近隣の住民達は目撃していた。(つづく
 
参考文献
Mikesh, R., 1973: Japan’s World War II Balloon Bomb Attacks on North America. Smithsonian Annals of Flight Series, Vol. 9, Smithsonian Institution Press, 85 pp.
櫻井誠子,2007:風船爆弾秘話.光人社,271p.


 
 
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